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大家志津香、父との最期つづる 痛みに耐える父の思いを尊重して鎮痛剤打つ「理想の最期でした」コメント欄には「家族の絆が強固であることを改めて感じました」【全文】

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2026-05-28 20:10
大家志津香、父との最期つづる 痛みに耐える父の思いを尊重して鎮痛剤打つ「理想の最期でした」コメント欄には「家族の絆が強固であることを改めて感じました」【全文】
大家志津香 (C)ORICON NewS inc.
 元AKB48でタレントの大家志津香(34)が28日、自身のブログを更新。亡くなった父の最期について3000字でつづった。

【写真】12年前には…地元のテレビに出演した大家志津香の父

 大家は27日に自身のXで「父が4月30日に息を引き取りました。生前お世話になった皆さま、父の作る料理を食べに足を運んでくださっていた皆さま、本当にありがとうございました。磯太郎は兄が継ぎ、続いていきますのでどうかよろしくお願いします!」と伝えていた。

 ブログでは、母から「今から入院する。たぶんもう家には戻って来れない」と連絡があったことや、父の意見を尊重して鎮静剤を打ったことを説明。点滴の針を父の腕に刺した瞬間「ァイターー!!!!」と大声を出したといい「パパ最後の渾身のボケ(半分マジ)だったと思います」と振り返った。

 仕事のため、病院を後にしようとした数分前に「父は息を引き取りました」と伝えた。大家の生まれ年のワインを兄弟で飲みながら、思い出とこれからを語ったといい「こんな言葉は適切じゃないかもしれないけど、私たちの家族らしい、理想の最期でした」と振り返った。

 父に向けては「最期までかっこよかったです」と思いを伝えていた。

 この投稿には「突然の訃報に驚かされます。素敵な御家族の幸せが今後も長く続いていかれますように」「家族の絆が強固であることを改めて感じました」「本当に素敵な家族ですね。大将とおかみさんが築いた家族とお店。これからも伺いますね」などのコメントが寄せられている。

■大家志津香 全文

2026年4月30日、父は家族に見守られながら息を引き取りました。

肝硬変でした。

3年程前、お医者さんから「このままお酒を飲み続けた場合、5年後の生存率は0%です。」と言われていました。

父はお酒をやめたりもしていましたが、お医者さんの言葉は正しく、ここ半年で一気に体調は悪化していきました。

年明けに帰省した時、以前より痩せていて、肌も黄色がかった父を見て『少しずつ心の準備を始めないといけないなぁ』と思ったのを覚えています。

2月に入って、兄から『日に日に働ける時間が短くなりよる』と連絡が入り、仕事が休みの度に帰省するようになりました。

3月、まだ動けるうちにと思い家族5人で温泉旅行に行きました。

家族が集まれば行われる恒例の背比べは、気づけば父より私の方が高くなっていました。

今思えば、この時期に計画して本当によかったです。

4月半ばに、母から『今から入院する。たぶんもう家には戻って来れない』と連絡がありました。

慌てて仕事終わりに帰省し、病院へ。

病室に入ると父はかすれた声で、「ごめんねー」と言いました。『きっとこう言うだろうな』と、予想した通りの第一声でした。

そして

「志津香が作ってくれた動画、毎日見よるよ。」

とも言ってくれました。

先月に行った温泉旅行のVlogの事です。

動画の中の父は、自分で歩いて、ご飯を食べて、温泉に入って。

普段過ごしている1ヶ月なんて一瞬だと思っていたけど、その一瞬でこんなに変わるんだなと思いました。

この日は声を出すのは辛そうだけど、まだ会話ができる状態で少しだけ安心しました。

その1週間後。

『ツラくて鎮静剤を打ちたいって言いよる』

母から連絡がありました。

以前、担当の先生とお話をさせていただいた時に、「この状態になると、最期はどういう状況が予想されますか?」と聞いていました。

先生は、「耐えられないほどの痛みが出てきて、鎮静剤を打つことになる。そしたらそのまま…が多いです。」と教えてくれました。

病室に到着し、父に

「鎮静剤を打ったらそのままもう目が覚めんかもしれんよ?いいと?」と聞くと

父は痛みに耐えているようで、目を瞑ったまま眉間にシワを寄せ「いい」と言いました。

元々家族間で、いざという時は父の意見を尊重するという方向で話し合いは済んでいたので、鎮静剤を打つことになりました。

兄と弟も駆けつけて家族が病室に揃い、いよいよ鎮静剤の準備が始まりました。準備が整うということは、父とのお別れの時間が来るということ。

「パパ、1人ずつなんか伝えておきたいことある?」

そう聞くと、父は振り絞った小さな声で全員に言葉をかけてくれました。

私には

「志津香が生まれた年のワインをずっと取っとるけん、俺が死んだらみんなで飲んで。がんばれよ」と。

そして母へは「日記に書いてある」と。

母は「わかった。」とひと言だけ言いました。

母は本当に強い女性で、

私は幼い時から、母が泣いた姿をほとんど見たことがありませんでした。

唯一、16歳の私を東京に送り出してくれた時、空港で泣いている姿をみたくらい。

この時も、ほとんど泣いてはいませんでした。

その後、準備が整うまでにしていたちょっとした会話で、病室に笑いが生まれ

「こんな時に笑い合う家族、なかなかおらんばい」と私が言うと、父が微笑んで「それでいいとよ。これがいいと。いつも通りがいい。」と言いました。

鎮静剤の準備が完了し、後は点滴の針を刺すだけ。

いよいよなんだな、と思いました。

ただ、ここ数日間は痛みで声も出せず、眉間にシワを寄せるだけでじっと耐えている父を見ていたので、これで痛みから解放されるんだ。という気持ちもありました。

家族に囲まれて、父も目を瞑り、看護師さんが鎮静剤の入った点滴の針を父の腕に刺した瞬間

「ァイターー!!!!」

父がここ数ヶ月で一番大きな声を出しました。

父は注射が大の苦手です。

…大の苦手なのは分かるのですが、

点滴の針が刺さる痛みの指標がこの声なら、訴えていた全身の痛みはそんなに痛くなかったのでは??笑

全員がそう思い、こんな時なのに私達は泣きながら笑っていました。

パパ最後の渾身のボケ(半分マジ)だったと思います。

10分もせず意識は混濁。

眉間のシワも消え、寝たように静かになりました。

何度も『ありがとう』と『頑張ったね』を伝えました。

その日は一晩、鎮静剤で眠る父をみんなで見守っていました。

「パパ潔くない?かっこいいと思わん?絶対死ぬの怖いのにひと言もそんな事言わんやったね!」

パパがかわいいとか、面白いとか、よく惚気けてくれていた母。こんな時までいつも通りに父をかっこいいと言っていました。

ふと、病室にあるティッシュペーパーの箱を見ると、父の字でメモが書いてありました。
『かなしみに勝てるのは エガオダケ』

いつ書いたんだろう…

また涙が出そうになった時に弟が言いました。

「カタカナで書いたらキノコやん。笑」

…エガオダケのおかげで私は笑顔になりました。

みんながみんなを思って明るい空気を作り、父がいなくなるなんて信じられないほど、いつもの私たちでした。

家族5人で過ごす最後の夜が明け、仕事で病院を後にしないといけない私に合わせてくれたように、私が出発する数分前、父は息を引き取りました。

親との別れはいつかくると思っていましたが

考えていたよりずっとずっと早かったです。

『家族の時間を過ごしてください』と、先生達が病室を出たあと、母への言葉が綴られているという日記を読み、母は初めて声を出して泣きました。

だけどそれもほんの一瞬。

すぐに切り替え、私を仕事に送り出してくれました。

その日の夜は、父が言っていた私の生まれ年のワインを兄弟で飲みながら、思い出とこれからを語りました。

こんな言葉は適切じゃないかもしれないけど、

私たちの家族らしい、理想の最期でした。

家族みんなが明るく、母は強く。

家の1階で飲食店を営み、24時間365日一緒だったパートナーがいなくなるなんて、私には到底想像もつかない寂しさだと思います。

それなのに、弱音を吐いたり塞ぎ込む姿を見せないでいてくれました。そのおかげで、私たち家族は泣きながらも笑えていて、父は、父の望んだ雰囲気で最期をむかえることができました。

そしてなによりも父が、死への恐怖心を微塵も感じさせない振る舞いで、できるだけ心配させないように、不安を与えないようにしてくれて、すごく救われました。

最期までかっこよかったです。

私もいつか自分にそんな時が来たら、父のように強くありたいと思いました。

たくさんの方から、お気遣いのお言葉をいただきました。本当にありがとうございます。
こんな家族と、支えてくれた方々のおかげで

家族も私も変わらず元気です。

ファンの方の中には、私に会うよりも多く父に会っているくらい、お店に足を運んでくださっている方もいたので、本当は直接お伝えしたかったのですが…。

難しく、このような形で伝えさせていただきます。

生前、お世話になったみなさま。
父が作った『いけす料理 磯太郎』を愛してくれたみなさま。

本当にありがとうございました。

お店は兄が継ぎ、これからも続いていきますので
どうかよろしくお願いいたします。

今回の経験で、大事な時に大切な人を守ることが出来る人間でありたいと強く思ったので、より一層お仕事も頑張っていく所存です。

父が眠る前に言った『最高の人生だった』を胸に、私自身もそう言えるような日々を送っていきたいと思います!

大家志津香

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