
縦型ショートドラマを中心に話題を集める「こねこフィルム」の作品で、個性豊かなキャラクターを演じ注目を集めた俳優・赤間麻里子さん。
【写真で見る】ドラマ『田鎖ブラザーズ』で刑事課長役を熱演中の赤間麻里子さん
俳優養成所・劇団の名門「無名塾」で培った確かな演技力を持つ一方で、その歩みは決して平坦なものではなかった。子育てによるブランク、そして直面した病。幾度もの壁にぶつかりながらも、彼女が再び表現の世界へ戻ることを選んだのはなぜか。
現在放送中のTBS金曜ドラマ『田鎖ブラザーズ』では、岡田将生さん演じる主人公・田鎖真の上司である刑事課長・竹内恵美を好演中。一度は「辞める理由」を探しながらも、再び歩み出した赤間さんの現在の心境に迫る。
“選び取ること”と向き合い続けた歩み
“時効”をテーマに、人の選択と時間の重みを描く『田鎖ブラザーズ』。その物語と重なるように、赤間さん自身もまた、「選び取ること」と向き合いながら歩み続けてきた。
映画好きの両親のもとで育ち、幼い頃から映像作品に親しんできた赤間さんは、「漠然と“こういう世界に入ってみたいな”と思ったのが最初のきっかけだった」と振り返る。中でも「ウエスト・サイド・ストーリー」や「雨に唄えば」といった往年のミュージカル映画への憧れは強く、高校卒業後はミュージカルの学校へ進学。「ああいうふうに楽しいことが自分でできたらいいなという夢があった」と当時を思い返す。
しかし、そこで感じたのは芝居への課題だった。「踊りと歌はすごく分かりやすく成長していくのですが、芝居ってなかなか成長度合いが分からなくて…。芝居心は基本なのに、このままでいいのかなと思ったんです」。ミュージカルとしての表現だけでなく、よりリアルな芝居を身につけたいという思いが強まり、一度環境を変える決断をする。
無名塾でたたき込まれた“役者の基礎”
転機となったのは、オーディション情報誌「De☆View」で見つけた、無名塾の劇団員募集という内容。「“授業料無料!?”と思って、仲代達矢さんに教えてもらえるならとオーディションを受けました」と笑う赤間さん。こうして飛び込んだ無名塾での日々は、想像以上に過酷でありながらも、役者としての基礎を徹底的にたたき込まれる時間だった。
「3か月稽古して120ステージやるんです。同じ芝居をそれだけやるので、やっぱり力はつきますよね。あの修行なしに自分がお芝居ができる気はしなかったですし、練習しないと人前に立てないという怖さもあって、“舞台をやらなきゃ”という気持ちが強かったです」。映画への憧れを抱きつつも、まずは舞台で経験を積むことに全力を注いだ。
「テレビへの入り口が分からない」30代、子育てと焦燥感の日々
その後、映画やドラマの世界へと視野を広げていくが、道のりは決して平たんではなかった。特にテレビの世界は難しかったと振り返り、「テレビは入り口が分からないんですよ。映画は監督が開くワークショップやオーディションがあるけれど、テレビはなかなかそういう機会が見えなくて」と語る。
30代は子育てに専念する日々を送りながらも、同年代の俳優たちが活躍している姿を目にするたびに、「自分もあの場所に立ちたかった」という思いが募ることも。「やっぱり忘れられない」という感覚は、心の奥に積み重なっていった。
自らつかみ取った転機と40歳での再出発
そんな中で自ら道を切り開いたのが、原田眞人監督への“直談判”だった。大好きな作品への思いを手紙につづり、ワークショップの場で直接手渡したという。
思い入れのあった、映画「KAMIKAZE TAXI」(1995年)や、「金融腐蝕列島〔呪縛〕」(1999年)、「クライマーズ・ハイ」(2008年)といった原田監督の作品たち。「それがどれだけ好きか、とにかく全部書いて“出たいんです”と伝えました」と、思いをしたため、監督からは映画の勉強会、そしてオーディションにも「来る?」と誘いが。「本当に無理やりこじ開けた感じです」。自ら動くことで、次の扉を開けていった。
そして訪れたもう一つの大きな転機が、40歳を目前にした再出発だった。子育てに全力を注いでた日々の中で、「本当はあそこに行きたい」などの葛藤と、「子どもの成長を見逃したくない」という気持ちの間で揺れ続けていた赤間さん。そんな時、実家の母親から「捨てていい?」と聞かれた段ボール箱の中にあった、無名塾時代に自らが書いたノートを読み返し、“ある一文”と再会する。
「19歳の時に『40歳になっても何者にもなっていなかったら辞めること』と書いてあって。それを39歳で読んだ時に、“あれ、どうしよう”と思ったんです」。かつての自分との約束に突き動かされ、「このまま終わっていいのか」と自問。再び学び直す決意を固めた。
「辞める理由を探していた」ひざから崩れ落ちた夜の決断
その背中を押したのが、たまたまつけていた深夜の野球ニュース番組で聞いた、元プロ野球選手・下柳剛さんの言葉だったという。「“辞める理由じゃなくて、やる理由を探しているだけ”という言葉を聞いた時に、膝から崩れ落ちるくらい泣いてしまって。もしかして私も辞める理由を探していたのかなと気づいたんです」。その瞬間、「自分の本音から逃げちゃいけない」と強く感じたという。
再び役者として歩み出した赤間を、家族は静かに支えた。無名塾出身で俳優の夫は言葉こそ多くなかったものの、「多分“良かったね”と思ってくれていたんじゃないかな」と回想。「“母親なんだから”という言葉は一つもなかったので、後ろ髪を引かれることなく進めたのはありがたかったです」と、当時の環境を振り返りつつ、感謝の言葉を口にする。
そんな再スタートのさなか、赤間さんの人生は大きく揺さぶられることになる。
順調に見えた再スタートの中で、乳がんという大きな出来事にも直面する。「“子どもの成長を見られないかもしれない”“志半ばで終わるのかもしれない”と、二つのことが浮かびました」。その経験は、自身の価値観を大きく変えた。
「自分の体のことだから全部理解したい」と考え、すぐには治療に入らず徹底的に調べ尽くし、代替療法も調べた上で選んだのは、標準治療。「自分で考えて納得して決められたことが大きかった。もし副作用があっても、“あれだけ考えた結果だ”と思えるので、人のせいにしなくて済むんです」。
“時効”というテーマが核にある『田鎖ブラザーズ』にも、自身の経験は重なる。「“人生って終わるんだ”と実感できたことは、すごく良かったと思う」と明かし、「終わりがあるからこそ、どれだけ花を咲かせられるのかを考える。もし200年生きられるとしたら、こんなふうには思えないんじゃないかな」と、前を向く。
そして、治療でもそうだった“徹底的に”向き合うその姿勢は、芝居にも通じている。
「役も自分のものなので、絶対に後悔はするんですよ。でも“あの時はあの選択しか思いつかなかった”と思えるところまで考えたい」。どんな撮影現場でも自主稽古を欠かさず、「やるだけのことはやった」と思える状態で臨む。「稽古したことが通用しないこともありますが、それでもやっぱりやっておかないと怖くて撮影現場に行けないんです」と、実直に向き合い続ける。
俳優として、一人の人間として。「自分で考えて、自分で行動して、自分でつかみ取る」という姿勢を貫いてきた赤間さん。『田鎖ブラザーズ』での演技にも、その姿勢は確かに息づいている。
・「コバエが、料理に一瞬だけ止まってしまった!」その料理、衛生的に大丈夫?専門家に聞いた
・“ポカリ”と“アクエリ” 実は飲むべき時が違った! “何となく”で選んでいませんか?効果的な飲み分けを解説【Nスタ解説】
・55歳母親を暴行死させた37歳男は“ヤングケアラー”だった 10歳から家事に追われた男と母親の「狂気の関係」
