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米野球殿堂入りイチロー「実は...日本に戻ろうかと考えたことも」巨人も選択肢に...メジャーに残った理由【独占密着】

スポーツ
2025-03-10 10:52

日本人初となる米野球殿堂入りを果たしたイチロー(51、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)。野球人生の節目を迎えたレジェンドに、独占インタビューを通じて、これまで語ることのなかった真実に迫った。(第2回/全4回)


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シアトル・マリナーズの本拠地、24年前のセーフコ・フィールド。イチローの挑戦はこの場所から始まった。


「どうしても思い出す」入団初期の屈辱とプレッシャー

日本のプロ野球で7年連続(1994〜2000年)首位打者に輝き、2000年オフにオリックスからポスティングシステムでマリナーズに移籍。日本人初の野手としてメジャーデビューを果たした。しかし、世界最高峰の舞台で予想だにしないメジャーの洗礼を受ける。


イチロー:キャンプのスタート、スプリングトレーニングのゲームが始まって、「日本帰れ」ってもう毎日言われましたよ。それをどうしても思い出すんですよね。


2000年代前半、メジャーリーグはパワー野球全盛期。一発で試合を決めるホームランバッターが高く評価されていた。そんな中、細身でコツコツとヒットを重ねるスタイルのイチローに懐疑的な声が上がった。日本では7年連続で打率3割4分を超えていたが、当時のルー・ピネラ監督は「打率はせいぜい2割8分くらい」と評価は高いものではなかった。


イチロー:日本でヒットを200本打ってる人間が、200本打てないなんてことは、あっちゃいけない。


さらに重くのしかかったのが背番号。マリナーズの51番といえば、マリナーズ史上初のノーヒットノーランを達成し、最も優れた投手に贈られるサイ・ヤング賞を獲得した伝説の左腕、ランディ・ジョンソン。


イチロー:「(背番号)『51』を何としても、平凡な数字にはできない」という思いも、とても強かったので。


野球人生を大きく変えたデビュー戦

屈辱とプレッシャー。そんな感情が入り混じる中、迎えた2001年4月2日(現地時間)のメジャーデビュー戦。アスレチックスを相手に、まずはライトの守備についたイチロー。


イチロー:ヒットが出なければどんどん苦しくなるのはわかっていたことなんで、守備で怖さはないんで。


記者:それは最初に限った話?じゃなくてずっと?


イチロー:最初です。最初が特に。これが一歩になるんで。全ての始まりですから。そのときは、守備よりも打つ方が心配だったんでしょうね。


記者:1回の表が終わって戻ってきて、打席に向かうまで?


イチロー:そう。そこは怖さがあった。


その不安は現実に。メジャー初打席は二ゴロ、第2打席は一ゴロ、3打席は空振り三振と凡退が続いた。


イチロー:あれだけボールを動かして高いところに投げてくれない。全部膝から下で3打席凡退。


先発ハドソンに完全に抑え込まれていた中、ハドソンは5回98球で交代となり、第4打席を迎えたイチロー。代わったTJ・マシューズを相手に、打球はゴロでセンターに抜け、“メジャー初安打”を記録。記念すべき一打となった。


イチロー:アメリカは本当に100球で代えるんだって、びっくりしたし、ピッチャー代わって、僕がセンターに抜けるヒット。あれ、ハドソンだったらおそらく5打席凡退でしょ。(後の野球人生が)大きく変わったかもしれないですよね。あの1試合で。


イチロー初めて明かした真実、心を乱す状況~日本球界復帰も選択肢に

メジャーの初舞台に立ってから24年もの月日が流れ、数々の大記録を打ち立てたイチロー。


マリナーズの不動の1番として10年連続200安打をマーク。2004年にはシーズン最多安打(262安打)を樹立し、一気にメジャーを代表する選手へと駆け上がった。


しかし2006年、イチローの心を乱す状況に。


日本人初となるアメリカ野球殿堂入りを果たし、その名を歴史に刻んだ今だからこそ、これまで語ることのなかった真実を打ち明けてくれた。


マリナーズは同年8月に悪夢の“11連敗”を喫するなど、シーズン中盤にも関わらず、自力優勝が消滅。チームのモチベーションはまさにどん底に。そんな中、ひとり記録に向かって、黙々とヒットを量産するイチロー。待っていたのは“孤立”だった。


イチロー:割とチームが結束していく時って、ネガティブなことで結束していくことが多いんですよ。ダメなチームって。そこに巻き込まれたくない。だから僕は外れるんですね。そこから。


イチロー:その中で僕が200本、3割。僕が続けてきたことを続けたいし、チームが希望を失ってる中でお客さんに喜んでもらえるとしたら、個人のパフォーマンスじゃないですか。いいプレー。野球ファンですから、来てる人たちって、基本的には。グラウンド上では、しっかり仕事をするっていうのがプロだと思ってる。


メジャー7年目の2007年には、野球人生で初めて自らチームを選べる状況に。イチローの選択に注目が集まった。


世界一に遠いマリナーズ残留か。熱烈なオファーを受けた名門・ヤンキース移籍か。世間が注目する中、実はその裏で知られざるもう一つの選択肢があったという。


イチロー:2007年は実は日本に戻ろうか、と考えたこともあった。


帰国して日本のプロ野球へ・・・。そのチームが、原辰徳監督が率いる読売巨人軍。当時、巨人は球団史上初となる2年連続Bクラス(2005・2006年)に低迷していた。


記者:あの当時は、巨人っていうチームはイチローさんから一番遠いイメージだと思ったんですけど、それでも巨人の可能性を考えたっていうのはなぜだったんですか?


イチロー:面白いじゃないですか。人が想像しないからね。それはプロ野球選手としての一つの使命と捉えることもできる。


記者:でも(メジャーに)残ったのはなぜ?


イチロー:それで逃げたら負けだと思ったからです。


仮に日本に戻っていたら、数々のメジャー記録も殿堂入りの資格さえも手にすることはなかった。


イチロー:正しいかどうかなんてわからないんですよ。でも僕はそうしたかった。それに間違いはないんです。惑わされそうになったこともあります。常に自分でそれは決断してきたことだから。責任を持つ、持てるというか。失敗することでいろんなことが見えてくる。うまくいくことじゃない。


(第3回へ続く)


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