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驚異的な独走で鮮烈な印象を残した吉田響にインタビュー 「初マラソンを走ってみて、2時間3分台は出せると感じました」【大阪マラソン】

スポーツ
2026-02-24 21:52

大阪マラソン(2月22日)の吉田響(23、サンベルクス)が大きなインパクトを残した。8km手前で先頭集団から抜け出して独走。中間点を1時間01分54秒と、2時間3分台が狙えるペースで突っ走った。30km通過は1時間28分07秒と日本記録ペースを維持したが、35kmまでを15分14秒にペースダウン。37kmで優勝したI.ハッサン(29、ジブチ)に抜かれ、日本人トップも平林清澄(23、ロジスティード)に譲った。フィニッシュでは2時間09分33秒の34位。なんとか踏ん張ってサブテンだけは成し遂げた。レース翌日にTBSの取材に応じた吉田が、ペースメーカーより速いスピードで独走した理由や、給水を取れなかった時の心境、ペースダウンしたときの状況、そして磁気テープを顔にまで貼った理由などを語ってくれた。


【写真で見る】笑顔を見せる吉田選手


「ずっと横になってぶるぶる震えていた状態は初めてでした」

――レースから1日経った今の気持ちは?
吉田:
気持ちの変化は特になくて、良い大阪マラソンだったな、と心から思います。


――振り返って思うことは?
吉田:
やっぱりマラソンはキツかったですね、キツくなるとわかってはいましたが。ハーフマラソン、ロードレース、トラック、色々な大会に出てきましたが、一番キツかったです。


――フィニッシュ後、なかなか回復しなかったようですが、これまでも似たような状況になったことがありますか?
吉田:
自分は全てを出力しきるのがスタイルで、走った後に倒れ込むことはよくあるのですが、今回みたいな状態は初めてでした。低血糖と脱水症状で倒れ、車椅子で運んでいただいて、ベッドに横になっていましたが、最初は補水液すら飲めず、ずっと横になってぶるぶる震えていましたね。本当に寒かったので、湯たんぽを当てたり毛布でくるんでいただいて、体を温めるところから始めました。そこから補水液やゼリーを少しずつ摂取して、40分くらい経ってやっと座れる状態まで戻った感じです。


――キツさを感じた場面はどのあたりだったのでしょう?
吉田:
32km過ぎくらいから体のキツさは感じ始めて、35km過ぎてから目眩がしたり、体が思うように動かない状態になり始めました。


――そうなった一番の要因は、給水というところになりますか。
吉田:
自分がオーバーペースで入ったこともありますし、マラソンに持って行くまでの過程で練習や、もっと詰めることができた部分もあったので、1つの要因というより色んな要因が重なって、最後までもたなかったのだと思います。


「最後まで気持ち良く、安定して走るパターンだと信じて(独走しました)」

――8km手前からの独走は、事前に立てたプランと違っていたと思うのですが?
吉田:
コーチと相談して、ペースメーカーもいるので、出て行くとしたら早くても24km、25kmあたり。追い風、向かい風を確認して出て行くプランを考えていましたが、距離が進むにつれて動きが噛み合ってきました。(1km)2分57秒に合わせるより、2分55秒の方が最後まで気持ち良く押し切れるんじゃないか、と思って先頭に出ました。


――勝つことも記録も、両方を狙っての飛び出しだった?
吉田:
もちろん勝つこともタイムも意識していましたが、それよりも感覚を大事に走ることを優先しました。その感覚を信じて、これが自分にとって最後まで気持ち良く、安定して走る一番のパターンだと信じて行った形です。


――遅いと感じるペースで走るとどんな状態になるのですか。
吉田:
ペースを無理に抑えてしまうと地面からの反発を上に逃すので、変に跳ねて余計に体力を消耗してしまうことがあると思います。それで後半伸びないと感じているので、ニューイヤー駅伝(2区区間賞)のときのように、自分の感覚を信じて飛び出して行きました。


――今後、2つの方法が考えられます。1つは前半から今回のような走り方をして、最後までもたせる方法。もう1つは前半の遅いペースに、自身の動きを合わせる方法です。
吉田:
欲張りなので、どっちもできるようにしたいと思っています。集団で待機して、集団の力を借りてタメを作り、最後に上げて行くのがマラソンを戦う上でのセオリーで、セオリー通りの戦いができることはすごく大事なことだと思います。その一方で今回のように最初から飛び出して、最後まで走り切ってしまうマラソンランナーはほとんどいないと思います。誰もできないことだからこそ、それをできるようになったらすごく強いマラソンランナーになれるということです。どちらもできるようにしていきます。今回は飛び出して、すごい低血糖と脱水症状になって死にかけましたが、それでもやっぱり、この走りが自分の走りだな、と改めて思いました。反省や課題はありますが、これまで通り地道に練習を続けていけば、あと7km伸ばせたらいいだけなので、だったら頑張れるでしょう、というポジティブな気持ちで次に向けて頑張って行きたいと思います。


「磁気テープの効果はすごくありました」

――テレビを見た方たちも知りたいところだと思うのですが、あれだけ貼っていた磁気テープの効果はどうでしたか。
吉田:
自分も映像を見て、あれやばいなって。集合体恐怖症の方たちには申し訳ないな、と思いました。しかし、効果はすごくありました。合宿の疲れというか、良い練習を積み上げてきた分、筋肉の張りがなかなか抜けないところが今回ありました。それを和らげるためにも磁気テープを貼る必要があったんです。筋肉は頭から下につながっていて、頭が固まると首、首が固まると背中、そこから腰、脚と連鎖して固まっていってしまいます。頭や顔の張りは、お灸や鍼をしても抜けにくい部分なので、磁気シールを最後の仕上げ的に貼ってみました。本当にすごくほぐれて、いつも通り、良いフォームで走ることができたと思います。ちょっと多かったですけど、いっぱい貼ってみました。


――ボトルが見つけられなくて、スペシャルドリンクを前半は取れませんでした。
吉田:
体により速く吸収される成分のドリンクで、それを取れなかったのはマイナスだったとは思いますが、前半は余裕もありましたし、(ゼネラルで)スポーツドリンクもあるのでそこで補おう、と。僕はアクシデントを起こすことが結構多いので、色んな事件にも慣れていて、変に動揺することは全然ありませんでした。


――スペシャルを取ることができず、ゼネラルの給水をした後、紙コップを丁寧にゴミ箱に捨てていました。
吉田:
前半は余裕もあったので、しっかりゴミ箱に入れていこうと思いました。やっぱり係の人も大変ですし、紙コップを踏んで滑ったりして、故障をしてしまう選手が出る可能性もなくはないですから。毎回それができるわけではありませんが、それが普通のことだと思っています。


「平林君はプラン通り、完璧なレース展開をした」

――同学年の平林選手の走り、結果についてはどう感じていますか。
吉田:
僕は最初の方から先頭集団にいたんですけど、平林君は冷静に集団の後ろを走っていました。レース前にちょっと話もしたのですが、最初から前に出てしまうと(風除けやペースメーカー的に)使われたり、体力も使ったりしてしまうので、冷静に後ろから行きたいと話していました。そのプラン通り、完璧なレース展開をしたと思っています。そこはフルマラソンの経験値や、平林君の強さが出たマラソンだったと思います。


――平林選手は吉田選手のことを、「予想の斜め上を行く選手」と話していましたが、吉田選手としては自分の感覚を優先してはしることが当たり前、という感じですか。
吉田:
そうですね。


――昨年の東京マラソンで太田蒼生(23、GMOインターネットグループ。当時青学大4年)選手が、世界トップ選手たちの集団で、今回の吉田選手と同じようなペースで走りました(中間点を1時間01分19秒で通過したが、35km過ぎに途中棄権)。
吉田:
太田君は世界のレースペースに対してどのくらいまでついて行けるか、その集団で勝負する走り方だったと思いますが、今回の自分はそこを目指すというより、自分の感覚を大事にして、どこまで単独で押せるか、という走り方でした。そこは明確に違ったと思います。


「マラソンは“助け合い”だな、と感じました」

――MGC出場権を取ることができませんでした。今後、どういう形で取りたいと考えていますか。
吉田:
僕はやっぱり日本が大好きなので、国内のマラソンでMGC出場権を取っていきたい気持ちはあるんですが、海外マラソンの可能性もコーチと話しています。ロサンゼルス五輪を戦うことを考えた場合、海外のレースに慣れることも必要ですから。


――マラソンを一度走ってみて、今後目指すことができるタイムは、どれくらいだと感じるようになりましたか。
吉田:
正直まだ2時間1分台、2分台はイメージできないのですが、2時間3分台は明確にイメージができています。マラソンを走って、より明確になりました。出したいという希望ではなく、出せると僕たちは思っています。


――マラソンは難しい、とまでは思わなかった?
吉田:
それはあります。あれだけ最後に苦しんで、ペースダウンして。でもそれ以上に、もっと上のステージで戦える可能性を感じ取ることができました。難しいとは思いましたが、それ以上にマラソンや長距離って、本当に良いスポーツだということも感じました。沿道からたくさんの方に温かいご声援をいただきました。37km以降は頭の中は真っ白で、視界は真っ暗で、走りも左右に揺れてしまって、大勢の選手に抜かされて、やめてしまおうかと考えた時もあったんです。それでも一緒に走った選手たちから声を掛けていただいて、それも1人や2人じゃなくて、6人、7人といった人から「響、頑張れ」、「付いて来い」って声を掛けていただきました。あんな勝手に飛び出して自滅した奴に、37km過ぎのキツいところで温かい声をかけてくれることがあるんだって、本当に感動しました。


――マラソンとは何だった、でしょうか。
吉田:
本当に“助け合い”だな、と感じました。マラソンはすごく過酷です。他の選手からも力をもらって今回最後まで走れましたし、大会運営の方、ボランティアの方、給水の係の方、先導の方たちが走りやすい環境を整えてくれて、初めて走ることができる。そこにスポンサー企業さんや自治体の方たちも密に関わっていて、本当に色々な方の支えがあって自分たち選手は競技をすることができています。それを改めて、今回の大阪マラソンで実感しました。そういった人たちのためにも、結果で返したい思いが強くなりました。


(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)


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