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初優勝でアジア大会代表を内定させた諏方元郁 「地元でメダル獲得」に向かって行く力とは?【日本選手権マラソン競歩】

スポーツ
2026-03-16 12:02

日本選手権マラソン競歩が3月15日、石川県能美市の日本陸連公認能美市営コース(往復1.0km)で行われ、男子は諏方元郁(26、愛知製鋼)が2時間58分21秒で、女子は梅野倖子(23、LOCOK)が3時間33分47秒で優勝。2人とも9月に名古屋で開幕するアジア大会代表に内定した。諏方はメジャー国際大会初の代表入り。フィニッシュ後に涙を流した理由は何だったのか。


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涙の理由は「恩返し」ができたから

アジア大会代表内定を示したボードを手渡された諏方は、愛知製鋼チームの先輩である丸尾知司(34)の顔が視界に入ったことで、涙腺が崩壊してしまった。


「今までどれだけ迷惑をかけてきたんだろう、という気持ちが込み上げてきました。練習ではペースをちゃんと守れないし、(合宿などで)一緒に生活するとストレスをかけてしまったり。丸尾さんからいただくことばかりで、何かを恩返しすることがずっとできていませんでした。陸上の世界にいる以上、恩返しをするなら結果しかありません。それが今回の結果でできたっていう気持ちが、涙になってしまったのだと思います。本当にもう、ありがとうございます、っていう気持ちで、ただただ涙でした」


愛知製鋼には競歩選手が3人在籍する。山西利和(30)は20km競歩で、世界陸上の19年ドーハ大会と22年オレゴン大会を2連覇。25年には20km競歩、26年にはハーフマラソン競歩の世界記録もマークした。丸尾は17年世界陸上50km競歩4位。昨年の東京2025世界陸上は20km競歩と35km競歩の2種目に出場した(世界大会実施競歩ショート種目の距離は25年まで20km、今年から21.0975km。ロング種目は21年までは50km、22年から25年までが35km、今年から42.195km)。


諏方も22年の世界競歩チーム選手権に出場した。選考規程に則って選ばれたが、選考競技会を勝ち抜いた結果の日本代表ではなかったと、諏方自身は考えている。「今日はちゃんと優勝してアジア大会代表に内定したので、すごく嬉しいです。(自分だけ代表になっていないことは)ずっと気にしていた部分でした」。


9月のアジア大会本番に対しては、「愛知製鋼にとって地元の大会。そこに本当に自分が出られるんだ、というところで複雑な気持ちです。ワクワクしている部分と緊張している部分がある」という。ただ、目標については「金メダルと言わなければならないと思いますが、自分の立ち位置をしっかり見据えると、メダルを取る、ということにさせてください」と現実的に考えている。


35km競歩の昨年のアジアリスト1・2位は、東京2025世界陸上銅メダリストの勝木隼人(35、自衛隊体育学校)と、同種目元世界記録保持者の川野将虎(27、旭化成)が占めていた。諏方は8位で、中国3選手も諏方より上位に入っていた。


勝木は選考会である昨年10月の全日本競歩高畠のマラソン競歩に、2時間55分28秒(現時点の日本選手最高タイム)で優勝。代表入りが濃厚ということで、能美大会はハーフマラソン競歩に出場した(4位)。川野はマラソン競歩での代表入りを狙っていたが、エントリーミスでハーフマラソン競歩に回っていた(優勝)。


「今日の優勝記録は、勝木さんが高畠で出した2時間55分に3分差がありました。日本の競歩界としては良くありません」。アジア大会代表内定に感涙を流した諏方だったが、金メダルが目標とは言えなかった。


同学年の住所のスパートにどう対応したのか

レース内容的にも、諏方の想定した展開に持ち込むことはできたが、課題も残ったという。スタートから髙橋和生(29、ADワークスグループ)が先頭に立ち、それに諏方と住所大翔(26、富士通)が付く展開に。髙橋のペースが1km4分20秒まで落ちたため、29km手前で住所が4分06~09秒にペースアップ。諏方は10秒以上差を付けられた。諏方と住所は同学年で、「住所が出た時に『うわ、住所か』と思いました」。


高校時代から世代トップの選手で、22年のオレゴン世界陸上では8位に入賞した住所に対し、諏方は高校卒業後、地元でフルタイムで働く苦労人的な選手だった。


「逃げられるかな、と正直思いました。(2月の日本選手権ハーフマラソン競歩では住所が諏方に勝ち)ハーフの勢いがあったので。合宿などで苦楽をともにしてきて、ライバルであり良き友だちでもあるんですが、だからこそ、負けたくない気持ちは強くありました。20秒差を付けられたらキツかったと思いますが、10秒なら行けると思っていました」


住所も4分06~08秒のペースを維持していたが、それを上回るペースで諏方が追い上げ始めた。35kmで追いつくと、36kmでは10m近くリードした。


「追いついたところで一度、力を貯めることも考えましたが、並んだ時に住所に余裕がなさそうに見えました。ここで勝負を決めないと、最後でまくられる可能性があると思って、気合いで抜いて行きました。(レース全体でも)最後の10kmが勝負と考えて、住所が飛び出した時も、残り10kmから(ハイペースにも)なんとか耐えるレースプランを考えていました。思い描いていたレースプランを遂行できました」


だが、4分05~06秒にペースを上げて逆転はできたが、最後の5kmは4分08~18秒まで落としてしまった。「そこを4分05秒で歩き切れれば」と諏方は悔やむ。国際大会で勝負をすることを考えた時も、最後のペースアップが重要になる。


亡くなった内田コーチの地元で結果を出した諏方

レース後に丸尾の顔を見て涙を流した諏方だったが、その後20km競歩前世界記録保持者の鈴木雄介さんからインタビューを受けている時も、涙がにじんだ。昨年12月に亡くなった、愛知製鋼コーチの内田隆幸氏(享年80歳)のことを問われた時だった。


「この3か月、その事実を受け容れられずに来ましたが、ここで優勝したことで、内田さんに対しても恩返しのようなことができたのかな。そう思うとすごく嬉しいです」


諏方は新潟・中越高を卒業後、地元の森林組合で働きながら競技を続けていた。2年目の元旦競歩20kmでは、その年(2020年)のオレゴン世界陸上で8位に入賞する住所にも先着して、2位という好成績を収めた。そこで内田コーチの目に留まり、愛知製鋼に入社することができた。


内田氏は鈴木さんやリオ五輪50km競歩銅メダルの荒井広宙、山西、丸尾ら世界レベルの選手を何人も育ててきた名伯楽だ。「練習の設定タイムなど、世界レベルを期待してくれているとわかりましたが、その期待に応えられない自分がすごく嫌な時期もありました」。内田氏の指導は、警告を取られない歩型を作ることを重視した。そのためにどういうトレーニングが必要かは、選手本人に任せていた。山西はイタリアの選手、丸尾はスウェーデンの選手と、外国勢と一緒にトレーニングを行うなど選手個々が工夫していた。


「内田さんの思い描くフォーム(歩型)を作れない自分に嫌気が差したこともありましたが、23年頃から良くなってきたと言っていただけるようになりました。内田さんは(その歩型で体を動かすための)技術は任せてくれるので、修正するのは自分です。そういった技術は先輩2人がスペシャリストなので、2人にうかがったりして、自分なりに修正してきました」


諏方の今回の優勝とアジア大会内定は、内田コーチたち愛知製鋼のスタッフと選手が、チームとして機能した結果だった。今大会が行われた石川県能美市は、内田氏の活動拠点でもあった。


「守り神のように後ろにいてくれた気がします。天国から内田さんが、追い風を吹かせてくれたのかもしれません」


内田氏の地元で結果を出した諏方が、次は愛知製鋼の地元で行われるアジア大会でも力を発揮する。


(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)


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