広島市の原爆資料館で長年、写真が展示されている被爆した少女の「その後」が明らかになりました。初めてメディアに口を開いた息子は、母への思いを語りました。
広島市の原爆資料館に展示されたきょうだいの写真。当時9歳の池本アイ子さんと7歳の徹さんです。
山澤寛治さん
「おかあちゃんだ」
アイ子さんの息子の山澤寛治さん(64)です。
幼いきょうだいの写真は、放射線被害を訴える象徴的な1枚として、少なくとも30年前から原爆資料館に展示されています。2人は爆心地から1キロで被爆。命は助かりましたが、数日後に異変がありました。
アイ子さんの母 池本タメ子さん(1994年)
「4~5日してから髪が抜け出して。あまりに抜けるから、抜けるだけ抜けって言ったら、全部ないなった」
歯ぐきからの出血や発熱も…。放射線による急性障害でした。その後、2人は回復したようにみえましたが、被爆から4年後、徹さんは突然、体調を崩し、11歳で亡くなりました。
山澤寛治さん
「こっちは母親、アイ子さん」
母になったアイ子さんと、まだ1歳にも満たない山澤さんです。
山澤寛治さん
「母親との接点とか、ああいったものが僕の心の中に残っていない」
アイ子さんは、山澤さんが5歳の時に29歳の若さでがんで亡くなりました。被爆から20年が経っていました。その後、新しい母親が来たこともあり、家族からアイ子さんの話を聞くことはありませんでした。
しかし、去年、取材の申し込みがきっかけで、母・アイ子さんについて改めて考えたと言います。そばに居た4歳の孫に、母を亡くした幼い自分を重ね合わせました。
山澤寛治さん
「子どもがいるのに亡くなっていく、ものすごい辛かったんじゃないかという気持ちが分かった」
山澤さんの元に残る1冊のアルバム。
山澤寛治さん
「たぶん母親が書いたんじゃないかなと思うんですがね」
2人で写る写真はこの1枚だけです。いま、山澤さんが知りたいのは、アイ子さんの被爆者としての話ではなく、幼い自分と過ごした母親としての姿です。
山澤寛治さん
「原爆がなければ、人生も変わっていたと思うんですよね。いま、もっともっと母親のことを知りたい」
60年経って初めて見えた、少女の「その後の人生」です。
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