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熊本地震から10年(1)~復興の陰に再建途中の被災者~【調査情報デジタル】

国内
2026-04-11 08:30

2016年4月に2度にわたって震度7を観測した熊本地震(死者は関連死含め270人超)からまもなく10年になる。2週にわたって地元テレビ局記者による寄稿をお届けする。初回は、熊本県が進める「創造的復興」に翻弄され、いまだ再建途中にある被災者について、熊本放送・メディア総局報道センターの鬼塚龍史記者(県政キャップ)が報告する(冒頭の写真は2017年撮影の熊本県益城町)。


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「記者初日」に熊本のすべてが一変

2016年4月14日。熊本市は汗ばむほどの夏日でした。研修を終えたばかりの新入社員だった私は、この日、報道部へ配属されました。初めて手にした「記者」という肩書きの名刺。高揚感で「にやり」と頬が緩んだのを覚えています。


「世の中で起きていることを見て、知って、伝えたい」と報道記者を志し、就職活動をしていた私にとって、記者としてスタートラインに立った記念すべき一日…になるはずでした。しかし、この日、熊本のすべてが一変するのです。


歓迎会の最中の午後9時26分。体験したことのない大きな揺れ。熊本を震度7の揺れが襲いました。混乱の中、ただただ必死にカメラを回しながら会社に戻りました。 


私に任されたのは消防や警察、病院などへの電話取材でした。ふとテレビ画面に目を移すと、映し出されていたのは変わり果てたふるさとの姿。「現場に出たいのに出ることができない」己の未熟さや無力さに、ただただ歯がゆさを感じていました。


初めて現場に出たのは本震から4日後、震度7を2回観測した益城町の避難所でした。


「今、何が必要ですか?」と差し出すマイクに疲れ切った表情の被災者からは時に厳しい視線を向けられました。中には嫌悪感を表す人もいました。


「悲しみと不安の真っただ中にいる人たちへマイクを向けて良いのだろうか」と何度も葛藤しながらも、「被災した人が何に困っているのかを伝えたい」というその使命感だけが私を突き動かしていたのを覚えています。 


復興事業の影響で再建した自宅の移転を迫られる被災者も

地震から1年が経った頃、私は益城町の仮設商店街でドローンやプラモデルを販売していた小嶺隆さん(当時67歳)に出会いました。小嶺さんがドローンを操り、空からふるさとの姿を記録していた姿に興味を持ち、取材をお願いしたのがきっかけでした(冒頭の益城町の写真は小嶺さんがドローンで空から撮影)。 


しかし、後に小嶺さん自身も再建に向け、翻弄されている1人であることを知ります。


小嶺さんは地震で店舗兼自宅が全壊。当時、夫婦で仮設住宅での生活をおくりながら、早期の自宅再建を目指していました。しかし、そこに立ちはだかったのが熊本県の「創造的復興」の象徴でもある「県道の4車線化」と「益城町の区画整理事業」でした。


益城町の中心部と熊本市を結ぶ、県道・熊本高森線は地震で倒壊した家屋などが県道を塞いだことで救急車や消防車の到着に時間がかかりました。県は同じ轍を踏まないために、創造的復興に向けた事業の1つとして、県道を拡幅する4車線化工事と防災公園や宅地などを一体的に整備する区画整備事業を推し進めていたのです。


益城町の県道沿いにある小嶺さんの土地はこの2つの工事の対象となっていましたが、行政側が対象の範囲を示さなかったため、自宅を再建できずにいました。


ただ、そうした中でも小嶺さん夫婦には自宅再建を急がなければいけない理由がありました。障害があるため地震以降、施設で暮らしていた次女・典子さんと再び一緒に暮らしたいとの思いからでした。


地震から2年を経て、小嶺さん夫婦は意を決し、自宅を再建。建てた場所は、4車線化の工事などに被らないように慎重に決めました。


「やっと家族で生活ができる」。典子さんのためにバリアフリーにした新居を見て、小嶺さんの笑顔は希望に満ちていました。 


しかし、その喜びもつかの間。当初、県から聞いていた計画案が変更となり、小嶺さんの家のほぼすべての庭が区画整理事業の対象となっていることが分かったのです。


再建後変更された計画案には、庭にそれまでなかった道路が描かれていました。 


妻のひろ子さんは「県からは何も聞かされていなかった。近所の人に教えてもらって気付いた」と振り返ります。せっかく再建した自宅も移転しなければならず、「終のすみか」として建てた自宅はその瞬間から「仮の住まい」となったのです。


あれから10年 明るいニュースの陰で見えない現実も

先月20日、地震から10年を前に県道の4車線化事業が完了し、全線が開通しました。住民からは「益城町発展の源になる」など多くの期待の声が聞かれました。真新しい道路、立ち並ぶ新しい家。町には「復興ムード」が溢れています。 


明るいニュースはほかにも。


県は仮住まいをしていた人たちについて、生活再建の見通しが立ったと発表しました。地震で自宅が被災し、仮設住宅や公営住宅などに入居した人は2017年のピーク時には「2万255世帯、4万7800人」いましたが、現在その人数は「2世帯4人」となっています。


その「2世帯4人」は益城町の土地区画整理事業で移転が必要になったため仮住まいを余儀なくされていましたが、先月、移転先の宅地が県より引き渡され、生活再建の見通しが立ったのです。


ただこの区画整理事業は、必ずしも順調に進んでいるとは言えません。県は来年度末までの完了を目指していますが、県によりますと権利者308人のうちすでに宅地が引き渡されたのは195人。残る113人はこれからで、しかもそのうちの一部の人とは、今も補償に関する交渉が続いています。


先月、私は小嶺さんの自宅を訪ねました。地震から10年を前に話を聞きたかったからです。しかし、そこで待っていたのは小嶺さんが去年12月に亡くなったという知らせでした。


「元気だった小嶺さんがまさか」。私は衝撃を受けると同時に10年という時の流れの非情さに言葉を失いました。 


また、ひろ子さんはいまだに県から「工事がいつ始まるのか」「引っ越しはいつになるのか」について連絡はないと教えてくれました。私は小嶺さんの仏前で手を合わせながらふと、去年4月に小嶺さんを取材したときのことを思い返していました。 


小嶺さんは「災害に負けない町を作ってほしい」との気持ちはある一方、「もう少し、行政には住民のことも考えて欲しい」と自らも年を重ねる中でまだ先が見えないことへの憤りを吐露していました。そんな小嶺さんはついに再建した家を見ることが叶わなかったのです。


県は「創造的復興」を進めますが、小嶺さん家族はまだ「未来」が見えません。ひろ子さんは「区画整理事業が完了する予定があっても、なかなかその通りにはならないのではないか。そのうち私も…」と不安を口にしながらも、「夫の分まで再建を見届けなくては」と自宅再建への道のりを歩いています。


復興の押し売りをしていないか?~地元局記者としての自問~

地震から10年経ち、被災地の傷跡は一見すると分からなくなっています。これも多くの人々が日常を取り戻すために努力した結果ですし、その努力を放送することも大事なことだと思います。


ただ、時々、復興という言葉を安易に使っているのではないか?復興の押し売りになっていないか?と自問することがあります。


復興という嬉しいニュースや明るいニュースは取材もしやすいですし、視聴者を勇気づけることになるかもしれません。


ただ、10年経ち、復興の陰に隠れて未だ再建途中の人の存在が見えにくくなっているのではないかと思っています。


復興とはなんなのか。


小嶺ひろ子さんは「自分の家が『ここ』と決まって、住めるようになったときが『復興』なんです」と語ります。これこそが数字では測れない復興というものなのだと思います。


地元局の記者として、復興を単なる「完了したプロジェクト」として報じるのではなく、被災した一人ひとりが「日常を取り戻した」と心の底から言えるその日まで見続けていきたいと思っています。


<執筆者略歴>
鬼塚 龍史(おにつか・りゅうし)
1992年 熊本市生まれ
2016年 熊本放送(RKK)入社 
メディア総局報道センターで県警キャップなどを経て2024年から県政キャップ(現職)


【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。


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