
Athlete Night Games in FUKUI2025の1日目は15日、9.98スタジアム(福井県営陸上競技場)で行われた。例年好記録に沸く大会だが、今年は男子走高跳の瀬古優斗(27、FAAS)が2m33の東京2025世界陸上参加標準記録をクリアした。日本記録の2m35に2cmと迫る日本歴代2位タイの跳躍だった。この種目では初めての標準記録突破者で、標準記録有効期限が8月24日まで残り少ないことを考えると、瀬古の代表入りは有力といえる。
これまでの自己記録は21年に跳んだ2m27。2m24以上を安定して跳び、23年などは世界ランキングで出場資格は得ていたが、世界陸上、オリンピック™、アジア大会の代表は逃し続けて来た。瀬古が殻を破ることができた経緯を紹介する。
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シューズを2試技連続で破損
瀬古は持参したスパイクシューズを2足とも破損させ、ピンチに陥っていた。2m20をただ1人成功して優勝を決めると、2m26もクリア。日本人9人目の大台となる2m30の試技でのことだった。
「昔のクセで中間マークからスピードを上げ過ぎてしまいました。内側に入り過ぎて(バーに近くなり過ぎて)しまったんです。踏み切りが開いてしまって(踏み切り時に左足を外側にひねるように接地して)、バックルがばーんと割れて、ソールの部分も裂けてしまいました」
走高跳のスパイクは、甲の上部を横に覆う幅3cm程度の帯が付いていて、足首がブレないような仕様になっている。その帯の締め方を調節するためのプラスチック製のパーツが、あまりの衝撃で割れてしまったのだ。
瀬古は最後の4歩を「すりつぶす、じゃないですけど、ギュギュギュって踏んで足裏が熱くなる」ような助走をする。走高跳選手がスパイクを破損させることは珍しくないが、瀬古はその頻度が多い。それだけスパイクにも、自身の足首にも負荷をかけている。
同じことを2m30の2回目の試技でも繰り返した。予備として持参した2足目のスパイクも壊れてしまったのだ。「“やばー”って思いましたが、こんなチャンスはめったにない。こんなことで心折れたらあかんやろ」
実は7月のベルギーでの試合(2m24で2位)でも、同じようにスパイクのバックルが壊れ、そのときは結束バンドで応急処置をした。そのとき経験から、結束バンドより靴ひもが良いという判断をして、今回は対処したという。
応急処置のスパイクで2m30を最後の3回目に成功すると、続く2m33も2回目の試技でクリアした。
「2m30の3回目のまま行けば跳べると思っていました。1回目の失敗はちょっと力んでしまったことが原因とわかっていたので、パッと忘れて、その前にやった良い跳躍を出そうと思って跳びました」
23年から瀬古を指導する福間博樹コーチは、以前の瀬古であればできなかったと感じている。「そんな状況になったら普通は、気持ちの切り換えができないですよ。今日はそれをやってのけた。本当に立派だったと思います」
代表入りに追い込まれたところから
近年の瀬古は、記録は2m24~27で安定していたが、日本選手権など勝負どころで弱さを露呈していた。今年も7月の日本選手権では5位タイ、記録は2m15だった。優勝したのは22年オレゴン世界陸上8位入賞の真野友博(28、九電工)。2位が23年ブダペスト世界陸上8位入賞の赤松諒一(30、SEIBU PRINCE)。3位が今年の世界室内選手権7位入賞の長谷川直人(28、新潟アルビレックスRC)だった。日本選手権終了時点で標準記録突破者がいなかったため、代表内定者が出なかった種目だが、この3人はRoad to Tokyo 2025(標準記録突破者と世界ランキング上位者を1国3人でカウントした世界陸連作成のリスト)が10位台。36人の出場枠内に入るのは間違いなかった。
逆転で代表入りするには、Road to Tokyo 2025の世界ランキングではなく、標準記録を跳ぶ必要があったが、2m33は標準記録適用期間に入った昨年8月以降、世界で8人しか跳んでいないほど高いレベル。瀬古もRoad to Tokyo 2025の30位相当と、出場圏内につけていたが、4人以上出場失格を得た場合は日本選手権の上の順位から代表入りする。世界陸上代表選考においても、瀬古は窮地に追い込まれていた。
瀬古は自身の競技人生でも挫折の連続だったという。福間コーチは「彼は高校時代のインターハイも、近畿大会7位で出場していません。大学ではインカレで入賞していますが、大きな大会の優勝がほとんどありませんでした」と指摘する。「成功体験の少なかったことで、代表選出がかかったときや、ここで記録をいくつ跳ばないといけない、という時に心のパワーが弱いのかな、と感じていました」
日本選手権は昨年も7位、23年も5位、22年は最初の高さが跳べず記録なし。瀬古は「何度も心が折れました」と言う。「23年のブダペスト世界陸上が、世界ランキングでは出場圏内に入っているのに日本選手権がダメでしたし、昨年のパリ五輪もです。今年の日本選手権もです。でも、諦めたらそこで終わりじゃないですか。これまで順風満帆じゃなくてもここまでやってこられました。勝つまでやめなければできるんじゃないか、って」
2m20くらいの高さでは、バーのかなり上の高さを跳んでいることが多かった。しかしそれ以上の高さにバーが上がると、跳躍が崩れてしまう。「噛み合わなかったモヤモヤが、ずっとありました」。瀬古は滋賀県を拠点としていたが(現在は滋賀県スポーツ協会勤務)、その思いが大きくなり23年の夏から、神奈川県で“福間JUMP道場”を開いている福間氏のもとで主に技術面の指導を受け始めた。
福井で見せた成長を国立競技場でも
当初2人は最後4歩の課題に重点的に取り組んだ。「踏み切りに入るところの流れが良くありませんでした」と福間コーチ。「まずそこに最初に手をつけて、夏から春まで冬期を通して、助走後半の改善を行いました。クリアランス(バーの越え方)もあまり上手くありませんでしたね。1年目は技術的な課題に取り組みました」
瀬古自身も、武器であるヒザの深い屈曲スタイルの跳躍を生かすため、ウエイトトレーニングなどはしっかり行っていた。2m27の自己記録は21年に出したが、2m24以上の試技は多くなっていた。
24年も日本選手権は7位と失敗したが、福間コーチの指導を受けて2年目からは、メンタル面の改善にも取り組み始めた。
「バーに向かって立った時に、その試合、その試技の中で何をやるか。彼が何を考えているのかを聞き始めて、ちょっとずつ問題点を抽出して、そこを改善するように話し合いました。しかしメンタル部分の改善は、時間がかかります。技術は一発で直る時もありますが、心の部分は習慣化しています。彼の場合、良い時は良いけど、悪い時は立て直せないことも多かった。気分が乗らないとパスをして、かえって不利な状況に自分を追い込んでしまうこともありました」
福間コーチは次のような例を挙げた。「(走高跳は同じ記録になった場合は失敗試技数で順位が決まるので)日本選手権なら2m29を1回目で跳んだら勝てる、2m25までノーミスでいけば3番以内は確実になる。そのためには(サブ競技場での)ウォーミングアップから試合会場に入っての練習、最初の高さをどのくらいの力で跳んで、と考えないといけません。そこからノーミスで行って、勝負どころで100%を超えるくらいの出力の跳躍をして、その日のピークを持っていく。そのもって行き方こそが強い走高跳選手の重要な要素だから、自分なりの考えを作らないと勝負にならないよ、と話し続けてきました」
それが世界陸上本番で予選を通過する時にも、極めて重要になる。昨年のパリ五輪では2m24を1回目に成功した選手は予選を通過したが、2回目と3回目に跳んだ選手は通過できなかった。
「日本選手権はまだ(メンタル面が)できていませんでしたが、今日は見事でした。気持ちの切り換えをやってのけた。ようやく化けたかな。潜在能力を狙ったところで出せる選手になりました。嬉しいですね。でも今日だけで終わってしまったら、今までの頑張りを生かしたことになりません。今日チャンスを掴んだからこそ、本番で頑張って欲しいですね」
瀬古に期待できるのは、Athlete Night Games in FUKUIで結果を出したこと。観客席をフィールドに設けて、選手を目の前で応援できる大会だ。
「応援のパワーが大きかったですね。ベルギーでは股関節の痛みもあって後半まで持ちませんでしたが、今日みたいにガス欠しなかったのは初めてです。応援の力、すごいと思いました」
国立競技場の大観衆の声援は、瀬古の福井での跳躍を再現する絶好の環境になる。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
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