
震災と原発事故の被災地、南相馬市小高区で、商工会女性部が10年続けてきた「ひまわりカフェ」
南相馬市の小高区は、東京電力福島第一原発の事故で、避難指示が出され、一時、無人の地域となりました。
2016年7月にほぼ全域で避難指示は解除されましたが、その前の年、2015年7月に再開した喫茶スペース「ひまわりカフェ」は10年経った2025年も続いています。
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2015年頃の小高は、昼間立ち入れるようになり、許可制で宿泊もできたので、住民が避難先から一時的に戻って自宅の片付けなど始めていましたが、営業している店もまだ少なく、ちょっとご飯を食べたり、休憩する場所が、特に土日はほとんどない状況でした。
そこで、小高商工会女性部が「誰でも気軽に寄れる場所を」と、各自の商売とは別にボランティアで、商工会の交流施設「小高浮舟ふれあい広場」の一角を使って、「ひまわりカフェ」を始めました。
神戸や海外からもお客さんがやって来る
始めると、元々の住民だけでなく、様々な人が訪れてきたということです。
一人の運営メンバーは「フランスから蜂の研究者という方がみえました。外国からお見えになる方がなぜ小高にってびっくりしましたけど、原発事故が起きたところで色々調査したい外国人は多かったです」と話します。
また、多くのメンバーが話したのが神戸の子どもたちのことです。
「ひまわりカフェ」運営メンバーの声
「神戸から小学生たちが来て、ここで歌ってくれたのは感激でした。『しあわせ運べるように』という歌ですね」
「僕たちは震災後に生まれたので、震災のこともよくわからなければ、被災者の気持ちがわからない。だからそれを知るためにこうして来たっていうことだったんです」
メンバーの中にはその後、神戸を訪れた人もいますし、神戸の子どもたちは、県内の他の被災地も訪れていたので、その被災地と小高がつながったりもしました。
私が取材した日は、小高出身で、東京から仕事で来たという男性がふらっと立ち寄りました。
男性は「運営メンバーに2人、同級生がいるんで、こっちに来たらたまに寄ります。顔を見ると懐かしい気分が蘇るし、訛りも含め、懐かしい声を聞け、故郷に戻ったっていう気持ちになれる場所です」と話します。
震災後、避難を続ける人の中にはかなり遠くに暮らす人もいて、久しぶりに小高に来ると、地元のいろんな話を聞きたがります。
また、小高の日常の暮らしの中で、買い物ついでに必ず立ち寄る、といった常連もたくさんいます。
人口減のなかで小高の「大切な場所」に
震災前の小高の人口はおよそ1万3000人。
2025年3月現在は、移り住んできた人も含め、居住人口は4500人ほど。高齢化率は50%になります。
「ひまわりカフェ」がある場所では、認知症予防やパソコンについて学ぶ教室を開いたり、チェルノブイリ事故のことで交流があるウクライナや、パレスチナへのチャリティー企画など、イベントも様々行っています。
運営メンバーに話を聞いていると、突然の避難であちこちを転々とした苦しい時期の話も出てきます。
「ひまわりカフェ」運営メンバーの声
「ここ、小高に根っこ生えていた時と比べると、突然出ろって言われたときっていったら、もうあっちこっちで不安定な思いをしました。だから、ここでつながりがあれば、どこに行ってもつながっていられます」「ただコーヒー出すだけじゃなくて、みんな小高だったらここでなくちゃ駄目なんだって思ってくれているから、大切な場所になってきたんじゃないかなって思います」
カフェのメニューは、コーヒーの他、ピザ、トーストぐらいですが、店にいると、その日の運営担当メンバーが自分で作ってきたものがいつの間にか出てきたりします。
必ずあるわけではないですが、崎山記者が取材した日は、サンドイッチや福島の名物「いかにんじん」の小皿が出てきました。
小高商工会の女性部長、小林友子さんは続けてきた理由について、話してくれました。
小高商工会の女性部長、小林友子さん
「離れていった人たちが、あ、まだここあるねって言って、来てくれる場所です。そういう場所でありたいと思ってるから、女性部のみんなに、どうする?って常に聞くんですけど、やろうね、っていうことで今も続いてます」
「サンドイッチ作ってきたり、おにぎり作ってきてくれたり、と色々出てくるけど、小高自体がそういうもてなしをずっとやってたんですね。誰かが来たら、お茶飲みな、これ食べな。そういう場所です。そういう場所はなくしたくないっていう思いがやっぱりみんなあるんですね」
復興に必要なものとは
被災地の復興に必要なのは、インフラの復旧、新しい建物のような公共事業の箱物だけではありません。
小高でも、新しい建物が次々にたつ一方で、「ひまわりカフェ」がある交流施設のような、以前からあるものを活用していない、あるいは無くなってしまったという声をよく聞きます。
こうした居場所は他にも、小高に移り住んだ人が一昨年、震災前は寿司店だった建物を、「青葉寿司」の看板など外観はそのままに、カフェとパン屋、そして貸しスペースにしました。
名前は「青葉寿司」をもじって「アオスバシ」。電車や近くの陸橋からよく見えて、地元の人にとっておなじみの建物で、気軽に立ち寄れて、交流できる場所を目指しています。
福島第一原発事故の収束は見通せず、復興いまだですが、小高商工会女性部の「ひまわりカフェ」が生まれ、続いてきた意味は大きいと感じた取材でした。
TBSラジオ「人権TODAY」担当: 崎山敏也記者
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