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人は右、車は左、沖縄730(ナナサンマル)大作戦(1978年)

国内
2025-12-27 16:00

「730(ナナサンマル=7月30日)からクルマは左!」そのキャッチフレーズは沖縄じゅうに響き渡りました。沖縄県が本土復帰して6年目の7月30日早朝、沖縄県内の自動車交通がいっせいに右から左へ変更されたのです。
(アーカイブマネジメント部 立花成樹・木暮健介)


【写真を見る】人は右、車は左、沖縄730(ナナサンマル)大作戦(1978年)


1945年以来、沖縄の交通ルールはアメリカ式だった

終戦後アメリカ軍の方針によって沖縄の交通ルールはアメリカ式に改められ、車は道路の右側を走るように決められていました。沖縄県の施政権が復帰したのは1972年でしたが、すでにその時期にはモータリゼーションにより自動車の台数は飛躍的に伸びていたため、これを元に戻すのにはかなりの手間と時間がかかりました。


学校で教わることと実際が違う

小学校の校庭でも「車は左」、だけど帰り道の車はまだ右でした。
自動車教習所でも「車は左」、しかし本日の試験はまだ右でした。


ヘッドライト交換はタダですので

左側通行と右側通行ではロービーム(対向車の幻惑防止)の角度を変える必要があったので早めに全数交換。730まではレンズに新開発の耐熱シールが貼ってありました。


タクシーは事前に右ハンドル、でもバスは当日一斉に新車

じつはタクシーは補助金で順次右ハンドルの新車になっていきました。
しかし、事前のリハーサルはできません。プロとはいえ、緊張の730待ちです。


バスに関しては、730当日に全台いっせい交換です。右ハンドルのバス(新車)が1000台以上用意されました。


バスのボディーは左右それぞれ専用なので、次のように有名な子供向きの問題になるのですが、実は国際派のオトナ向き問題でもあるとわかります。


土木工事とインフラの基本は「双方向を作る」&「片方を隠しておく」

道路は数年かけて交差点や坂道、カーブの改良が行われましたが、それだけではすまず建物の位置を変える必要が生じたり、商売に影響したり…。


道路の矢印や文字は反対向きも書いておき、これも特殊カバーで隠しました。
道路沿いや道路埋め込みの反射材もダブルにしたり向きを変えたりしました。
ガードレールのつなぎ目も、実は動く車両が当たると進行方向にすべる形に組んでいるので、全数組みなおしをしたそうです。(沖縄県土木部「沖縄730 道の記録」より)


パトカーや白バイは全国から応援 

そして当日早朝サイレンの音が鳴り響き、パトカーや白バイと観客が見守る中、各地一斉に左側通行が始まりました。


大きなトラブルもなく…

730以降しばらくは小さな事故は起きましたが大作戦は成功を収めたと言うべきでしょう。
以前から道路交通に関する条約(ジュネーブ交通条約)を批准していた日本は、無事にその約束を果たしたのです。


道路交通に関する条約(昭和39年発効)
第九条1
道路において同一方向に進行する車両は、道路の同一の側を通行するものとし、その通行する側は、それぞれの国においてすべての道路について統一されていなければならない。(後略)


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