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モーレツ“痛勤”はいつ始まった? ー1965年ピークから現代へ

国内
2026-02-19 06:00

首都圏・近畿圏の通勤の主流はいまでも電車です。かつての日本人サラリーマンは今をはるかに上回る猛烈な満員電車に毎日乗っていたのです。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)


【写真で見る】あまりの乗車率に車両の窓が割れることも


通勤ラッシュのピーク

朝8時。ホームに鳴り響く発車ベル。扉が閉まる寸前まで押し込まれる乗客たち…。東京の通勤ラッシュは、いつから始まったのでしょうか。


その原点は、戦後復興が本格化した1950年代にさかのぼります。高度経済成長の波に乗り、地方から若者が次々と上京しました。郊外には住宅団地が広がり、都心にはオフィスビルが林立します。郊外に住み、都心へ働きに出るというライフスタイルが急速に定着しました。


首都圏と近畿圏で電車ラッシュ

日本に電車が導入されたのは明治時代の京都が最初だとされます。


最初は「珍しもの好き」な人が乗り、便利さと定時制が評価され、やがて「通勤は電車で」というのが当たり前のライフスタイルになってきます。じつはその頃からラッシュ時の混雑はあったのです。


「押し屋」登場

転機となったのが1964年の東京オリンピックです。インフラ整備が進み、都市の膨張は一気に加速しました。そして翌1965年、通勤輸送はピークを迎えます。


国鉄(現在のJR)の主要路線では、混雑率が300%近くに達した区間もありました。これは「定員の3倍」、体が宙に浮くほどの密度です。
駅にはいわゆる「押し屋」が配置され、乗客を車内に押し込む光景が日常となりました。


いわば「日本経済の象徴」に

あまりの乗車率に車両の窓が割れてしまう、押しつぶされた人が倒れてしまう、などのことが頻発し、列車は遅延し、そのことがさらなる混雑を生むなどの悪循環が起こりました。


世界的に日本の通勤ラッシュは有名になり、都市への人口集中、企業社会の長時間労働文化が「エコノミックアニマル」の名前で話題になったものです。


渋滞は世に連れ…

しかし、1965年が永遠のピークだったわけではありません。1970年代以降、国鉄は複々線化や新線建設を進め、私鉄各社も輸送力増強に取り組みます。


1970年代後半から80年代にかけて、混雑率は徐々に緩和されました。それでもバブル期には再び都心回帰が進み、ラッシュは続きます。


そして2020年、新型コロナウイルスの流行が世界を覆います。緊急事態宣言下、駅のホームは静まり返りました。


エネルギッシュだったかつての日本

今急激に進む、少子高齢化。通勤人口は緩やかに減少傾向を見せます。一方、コロナ禍が落ち着くにつれ、出社回帰の動きも見られています。


もうかつてのような殺人的通勤ラッシュには戻らないでしょう。しかし「日本の活力」という観点からいうと、なにかエネルギッシュだった昔が懐かしいような気もしてくるのです。


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