爆弾を抱いた飛行機で敵に体当たりをする特攻。特攻隊員だった兄を亡くした妹は、兄への思いだけでなく、「犠牲になったアメリカ兵に申し訳ない」とずっと感じてきたそうです。今年、その彼女の想いがアメリカ兵の遺族に届き、今度は、その遺族からもメッセージが…二つの想いが重なりました。
「何でも兄と一緒でした」穏やかな兄妹の日々を変えた戦争
渡良瀬川が流れる美しい町、栃木県足利市。
今から80年以上前、ある兄妹が暮らしていました。
現在、98歳になった今井アサ子さんと、3つ上の兄・山岸啓祐さんです。
今井アサ子さん
「兄が好きでした。何でも兄と一緒でしたね。竹馬作ってもらって乗ったりね。こんなに高いの作ってもらって、おりれなくて、兄がおさえてくれた」
穏やかな兄妹の日々を戦争が変えていきます。
1941年12月、日米開戦。その半年後、啓祐さんは海軍に入ります。
「国を守りたい」夢だった航空兵の道へ
当時、日本は航空兵の増強を急ぎ、多くの少年は空に憧れを抱きました。
「国を守りたい」と啓祐さんは航空兵の養成機関である、予科練に志願したのです。まだ17歳でした。
今井アサ子さん
「父親は反対してましたね。徴兵検査で行けば良いんだ、志願することはないって。だけど母親は夢を叶えてやりたかった」
母親の後押しで家を出た啓祐さん。夢だった航空兵への道を歩み始めます。
今井アサ子さん
「飛行服を着て初めての時の写真でしょ」
入隊から3年の1944年の9月、啓祐さんは大分県宇佐市に転属になりました。
市内を貫く直線道路は、ここにかつてあった海軍航空隊の滑走路の跡です。飛行機を隠した掩体壕も残されています。
啓祐さんはまだ練習生でした。
(啓祐さんからのはがき)
「アサ子からの便りで大変楽しくなった。そちらはもう本当の寒さになったことと思います」
ふるさとや家族に思いをはせ、はがきを書いた啓祐さん。それからわずか1か月後の1945年2月頃、啓祐さんに命令が下りました。
20歳で亡くなった兄「母親が気が狂ったように泣いて…」
爆弾を積んだ飛行機で敵に体当たりする「特攻」。
啓祐さんの出撃直前の様子を戦後、戦友が弟の修次さんに伝えていました。
山岸修次さん(82)
「飛行機の下で横になっていた。空を見てた。『啓祐くん』と声をかけたら、涙ぐんでる様子が見えたと。きっと雲を見ながら、故郷の家族のことを想ってるのかなって」
1945年4月12日、啓祐さんは沖縄の海に出撃しました。
部隊の様子をアメリカ軍が撮影していました。
啓祐さんは20歳で亡くなりました。
今井アサ子さん
「母親が気が狂ったように泣いて、それから床に伏して、食べる物も食べないから、翌年の昭和22年に亡くなっちゃったのよね。
長男の望みを叶えてやったけど、後悔があったでしょうね。母親と兄の合同葬。そんな悲しいことはないですよ」
「複雑な思いも胸に去来」兄の最期を聞いたときの胸の内
それから70年が経った2015年。遺族会の男性から、衝撃的な情報がもたらされます。
日本に攻撃されるアメリカの戦艦「テネシー」。飛行機が近づいてきます。突入し、激しい炎が上がります。
「啓祐さんがこの飛行機を操縦していた」と遺族会の男性は言います。
アメリカの記録でわかったとのことでしたが、それを否定する事実もあり、はっきりしません。
ただ、アサ子さんはそれからずっとある思いに苛まれてきました。
2026年5月、予科練出身者の慰霊祭で、今井アサ子さんは「ようやくたどり着いた事実に安堵する一方で、複雑な思いも胸に去来しました。兄が突入した戦艦テネシーでも、多くの尊い命が失われたからです」と、兄の最期を聞いたときの胸の内を明かしました。
今井アサ子さん
「信念を持って特攻隊としての使命で、戦艦に突入したんでしょう。でも、アメリカの方だって家族があって、私たちと同じような悲しみじゃないですか。申し訳ない。お詫びでいっぱいです」
アメリカ人にとって理解しがたく恐ろしい「神風特攻隊」
アメリカ テネシー州・ハンツビルにある、戦艦テネシーの博物館を訪ねました。
博物館館長のジェフさんが見せてくれたのは、突入したあの特攻機が残したものです。
ジェフ・スワンソン館長
「爆弾の破片と特攻機の一部です」
屋根裏の倉庫には、特攻を受けた直後の写真が何枚も残されていました。
ジェフ・スワンソン館長
「仲間の手当をしていますが、もう亡くなっています。特攻による火災が収まった直後に撮られた写真です。頭を抱えていますね。
特攻機や船の破片が散らばっています。遺体はバラバラで、誰のものか分かりませんでした」
この特攻で22人が亡くなり、107人がけがをしました。
生き残った隊員たちが当時の状況を証言しています。
「私は爆風で甲板の反対側まで飛ばされ、右足は粉々になりました」
「私の上官は片足を吹き飛ばされたうえ、海に投げ出され、泳げずに溺れ死にました」
ジェフ・スワンソン館長
「若者たちが神風特攻隊として訓練し、祖国や家族、天皇を守るために身を捧げる。それはアメリカ人には理解しがたく、恐ろしいものでした」
アメリカ海軍歴史遺産司令部は、沖縄の特攻で約5000人のアメリカ兵らが犠牲になったとしています。
「特攻は『絶望』そのもの」「戦争をするべきじゃなかった」
ジェフ・スワンソン館長の友人、ベン・アーノルドさん。
ベンさんの祖父は、軍艦「ドーシー」で特攻を経験しました。
ベン・アーノルドさん
「大変な混乱でした。特攻機は甲板を突き破り、祖父のベッドの上に落ちてきました。もし祖父がベッドにいたらと思うと…」
祖父が妻に宛てた手紙が残っています。
(妻宛の手紙)
「悪夢について。特攻機が2人を直撃したんだ。あわせて4人が亡くなったよ」
ベン・アーノルドさん
「特攻は『絶望』そのものです。祖父は話そうとしませんでした。でもPTSDは昔からありました。軍艦ドーシーの乗組員や祖父も、確実にトラウマを抱えていたと思います」
ベンさんとジェフさんに、アサ子さんの思いを聞いてもらいました。
(声・今井アサ子さん)
「特攻隊が突っ込んだことで、尊い命が失われたとすると、兄一人じゃなく、大勢犠牲者を出している。申し訳ない。お詫びしてきてください」
ベン・アーノルドさん
「これは…彼女の責任ではない。そんな重荷を背負ってきたなんて…」
ジェフ・スワンソン館長
「戦争をするべきじゃなかったんだ。若者を戦場に送り、二度と帰ってこられないなんて」
ベン・アーノルドさん
「私は啓祐さんも責めるつもりはない。命令だったんです。彼女が重荷を背負う必要は絶対にない」
ジェフ・スワンソン館長
「この悲劇から私たちが何を学ぶか。二度と戦争をしないためにどうするかが大切なんです」
8月13日、アサ子さんにベンさんとジェフさんのメッセージを伝えます。
海を越えた思い アメリカ遺族と重なる心
お盆休みの8月13日、アサ子さんの自宅には家族合わせて17人が集まりました。
今井アサ子さんには6人のひ孫がいます。一番下はまだ3歳。
家族みんなにアメリカのベンさんとジェフさんの「これは…彼女の責任ではない」「この悲劇から私たちが何を学ぶか。二度と戦争をしないためにどうするかが大切なんです」というメッセージを見てもらいました。
今井アサ子さん
「なんであんな戦争したんでしょうね。遠いアメリカの人たちと会話してるような感覚になって、もし今から80年前にこういう交流ができてたら、あんなに大勢の犠牲も出さなかったでしょうにね」
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取材協力(Special Thanks)
足利市教育委員会
宇佐市教育委員会
豊の国宇佐市塾
海原会
織田 祐輔
USS Tennessee (BB-43) World War II Remembrance Museum.
Jeff Swanson
Ben Arnold
Clifton Simmons
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