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「みんなと同じもの食べたい」わずか0.1ccの牛乳でショック症状 重度アレルギーを“食べて治す” 経口免疫療法に挑んだ親子の記録【報道特集】

総合
2024-09-23 07:00

10人に1人が何らかのアレルギーを持って生まれると言われている。自分たちの経験をアレルギーと向き合う人たちに活かしてもらうために…治療を乗り越え、患者会を立ち上げて活動する親子の姿を追った。


【写真で見る】食物アレルギーを「食べて治す」 経口免疫療法とは


プールに一滴の濃度でもショック症状 重い乳アレルギー

重いアレルギー症状により、アナフィラキシーショック状態になった少年。苦しそうな表情をして足をばたつかせる。


母「お薬入れる?」「冷やす?」


少年は「経口免疫療法」と呼ばれる食物アレルギーの治療を受けていた。時に危険も伴うが、治療を続けることに迷いはなかった。


私たちが大森佑人さんの取材を始めたのは2010年。当時、小学5年生。佑人さんがいつも肩からかけていたのは黒色のバッグ。


佑人さん
「飲む薬と苦しくなった時の吸入器、担当医の電話番号とか母さんの番号を書いた紙」


身体に異変を感じた時、すぐ対処できるように持ち歩いていた。


佑人さんが重い乳アレルギーとわかったのは生後6ヶ月の時。プールに1滴の牛乳を落としただけの濃度でもショックが起きると言われたという。


一生乳製品を口にせずに生きていくのか、思い悩んでいたときに知ったのが食べて治す「経口免疫療法」だった。


あえて“食べる” 「経口免疫療法」

アレルギーは本来、体に害を与えないものを悪いものとみなし過剰に免疫が反応してしまうこと。蕁麻疹や、呼吸困難など人によって出る症状は違う。


「経口免疫療法」は、原因となる食べ物をごく少量ずつ口にして体を慣れさせていき、耐性をつけながら量を増やしていく方法だ。


主治医の谷内昇一郎さんはこの治療の第一人者だ。


谷内昇一郎 医師
「お母さんがきちんと除去食をやっていてもなかなか治らない。むしろ悪くなっている人もいてどうしてかと。食べて治した方がいいという考え方にたどり着く。量を増やすとショック起こす危険性があるので極めて厳重な監修のもとで行う」


佑人さんが治療を始めたのは小学3年生の時だった。当初、ショック症状は、わずか0.1㏄の牛乳を飲んだだけで出た。これほどの重い乳アレルギーで治療を受けた例は、世界でもわずかしかなかったという。


少量ずつ家でも牛乳を飲む練習を続け、量を増やす時は必ず入院していた。


医師「きょうは70㏄持ってきたから」


治療を始めて2年ほどが経った時には、70㏄まで飲めるようになっていた。


それでも、その日の体調や環境の変化で体に異変は起こる。


「痒くなってきた?」
「気持ち悪い?」
「気持ち悪いのとちょっと喉が痛い」
「喉が痛い?」


牛乳を飲んでおよそ30分後、息苦しさと身体の痒さを訴え始めた。アナフィラキシーと呼ばれる症状のひとつだ。


ショックを和らげる措置が直ちに取られる。


「落ち着こう」
「暴れたら痒くなるかゆくなる」
「落ち着こう」
「苦しいの?」


身体を冷やし、呼吸を安定させる薬が投与されようやく落ち着いた。


「もうきょうやめちゃう?」
「落ち着いていたら頑張る」
「お母さんが折れそうやわ」
「そんなにやめてほしい?」


大森さんはため息をついて佑人くんに一言告げた。


「…やれるならやりなさい」


治療を続ける理由は「みんなと一緒に同じものを食べたい」

佑人さんが苦しい思いをしても治療を続ける理由は実に少年らしかった。


佑人さん
「一番の理由はみんなと一緒にピザとか同じものを食べたいから」
―1番食べたいものは?
「チョコレート!!」


少しずつ、少しずつ、牛乳に慣れることで、乳製品が入っている食べ物にも挑戦していった。ハンバーガーやフライドチキンなどファストフードも食べられるようになった。「乳製品」は驚くほどたくさんの食品に含まれているのだ。


中学生になると、牛乳を210ccまで飲めるようになった。でも味は、苦手。


身体を慣れさせておくため、今も週に2回は、飲むようにしている。症状は随分、よくなった。


経口免疫療法は、画期的な治療と期待が高い一方で、ショックを引き起こすことがあるため、治療法はまだ、確立していない。


診療ガイドラインにも「食物アレルギー診療を熟知した専門医が、慎重に行うべき」とされている。量を増やす方法や治療方針は、医師によって異なる。佑人さんの主治医の谷内昇一郎医師は当時を振り返りこう話す。


谷内昇一郎 医師
「自分の考えは間違っていなかったというのはある。あんなきついことをやって失敗するかもしれない。命落とすかもしれない、でも佑人くんは今、牛乳を飲んでいる。違和感あるというけどアルバイトもして普通に生活している、それは彼にとってハッピーだったと思う」


佑人さん
「治療で苦しかった記憶は今あまりもうない。案外そういうしんどかったであろう記憶って、ぽいっと忘れちゃっていますね」


当初は、「アレルギーなのになぜ飲ませるのだ」と批判も受けた。孤独な時間を過ごしたこともあった。


成長と共に、母親の真友子さんが痛感したのは「自分の身を守ること」の大切さ。自分のアレルギーを知ることでアレルギーを理由に人生の幅を狭めて欲しくないと考えるようになった。


大森さんが今も忘れられない言葉がある。佑人さんが小さい時に相談に行った役場で担当者からこう言われた。


大森真友子さん
社会に適応できないお子さんだから、おうちでみたらどうですかって。確かに牛乳飲んだら症状出るけどそれ以外は普通に生活できるのに。言葉で刺されること多くて今もナイフは刺さったまま」


ほかの人たちが無用に傷つく必要はない。


経験を“支援”に 災害時への“備え”訴え

2014年、大森さんは患者会「LFA・食物アレルギーと共に生きる会」を立ち上げた。会員は重度のアレルギーの子どもたちや家族140世帯。活動は年々忙しくなっている。


活動は多岐にわたる。


例えばエピペン講習会。エピペンは、急激なショック症状が起きた時、呼吸困難などを一時的に和らげる注射器だ。異変を感じた時、自分で注射を打てるように講習会で練習を重ねてもらう。


また、協力してくれるレストランに依頼し、アレルゲンを除いた料理を並べる特別な「ビュッフェ」の会を毎年、秋に催している。アレルギーのある子どもたちや家族にとって「ビュッフェ」は憧れだ。自分で食べたい料理を気兼ねなく選んで食べる。当たり前に思えることが、とても特別なことなのだ。


参加した男の子
「100年くらい前から楽しみだった!夢の中でも出ていた」
お母さん
「ママ、オムライスって何って聞かれて、意外なものを知らないんです」


食物アレルギーの意外な盲点が「災害」だ。2018年、西日本を襲った平成最悪の集中豪雨。被災地に救援物資を運ぶのも難しいなか、広島県三原市にいる患者会の代表が、あるメッセージを、SNSで発信した。


『市は、アレルギー対応食品は備蓄していないようで個人の備蓄も底をつきそう、配給されているのは、水とパンですが、アレルギー児は食べることができません』


大森さんは、すぐ、支援に動いた。


大森さん
「子どもがアレルギーで食べるものがなかったらどうしよう、どれだけ困るんだろうとSNSを使って寄付金を募集しました。1週間で90万円弱が集まって、商品を買い集めて被災地に送りました」


食物アレルギーがあると“災害弱者”になってしまう…。大森さんは全国の患者会と協力して災害時のハンドブックを作り、備えの大切さを訴え続けている。


アレルギーと闘う子に 先輩としてのメッセージ

子ども同士の交流も欠かせない。


小学高学年や中学生は思春期とも重なって治療の継続は難しくなる時期だ。何とか励ましたい、と大森さん親子は交流会を定期的に企画している。佑人さんは、“先輩”としてさりげなくアドバイスをする。


佑人さん
「将来食べたい物ある?」
小麦アレルギーがある小学6年生の少年
「食に興味ないから」
佑人さん
「大学生になると結構みんなと食べないといけない場面とかあるで」


「経口検疫療法」を希望する人は多いが、続けるには強い意思と家族の協力が欠かせない。大人になった時、「やっておけばよかった」と後悔だけはして欲しくない。


大森さん
「食べたら命に関わる、死ぬっていうのを毎日食べることを私も佑人もやってきた。みんなやっていない時期に経口免疫療法やって乗り越えてきたけど、最近テレビで簡単にクリアできるイメージついているけど、結構保護者も子どもも頑張らないといけない。情報共有が必要」


佑人さん
「昔の自分に感謝しているかっていうとわからないけど、ふとした瞬間にやっていてよかったなって思う。今大学生なので、これから実際に働いていったりするので今の目標は何の問題もなく働けたらと思う」


尽きぬ課題 社会に求められる理解と支援

LFA代表の大森真友子さんは食物アレルギーに対する学校や社会の認識が少しずつ変わってきたと実感する一方で、課題はまだ尽きない、と話す。


いわゆる7大アレルゲン(卵・乳・小麦・えび・かに・落花生・そば)が2025年4月から変わることを多くの人がまだ知らない。新たに「くるみ」が加えられ“8大”になる。


元旦に起きた能登地震では多くの自治体がアルファ米(28品目除去、加水のみで食べられる非常食)を備蓄していたことでアレルギー対応はできている、という判断だった。しかし大森さんの元には「何週間もご飯だけを食べている」という幼いアレルギー児を持つ保護者からのSOSが届いた。


アレルギーへの理解や支援は個々人によって大きく異なる。災害時に声をあげられない人もいることを担当者は知っておいて欲しいと話す。大森さんは厚生労働省のアレルギー疾患対策推進協議会の委員に就任し当事者の声を発信している。


佑人さんは大学卒業後に食品会社に就職、営業を担当し大阪を離れ一人暮らしをしている。「食べて治す」治療で乳製品を気にすることなく食することができ、会社の飲み会にも積極的に参加している。


「自分が受けてきた治療の意味を今一番感じているのでは」と大森さんは語った。


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情報提供元:TBS NEWS DIG Powered by JNN

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