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「百聞は一見に如かず」本間哲朗 中国日本商会会長が語る中国ビジネス最前線(前編)

海外
2025-09-06 06:00

「景気減速」「デフレ」「米中対立」「過剰生産」「邦人拘束」…。難しい、怖い、危ない。そんなイメージばかりが先行しがちな中国ですが、実際のところはどうなのか?長らく中国ビジネスに携わり、2023年4月から中国日本商会会長を務める本間哲朗パナソニックホールディングス株式会社 代表取締役副社長執行役員・中国北東アジア総代表に中国でビジネスをすることの面白さや今最も注目すべきポイント、さらに日中ビジネスの将来像について語ってもらいました。


【写真で見る】「百聞は一見に如かず」本間哲朗 中国日本商会会長が語る中国ビジネス最前線


前編はカオスだったころの中国からその後の驚異的な発展について。さらに「政経一体」の中国で日本商会が果たす役割についてです。


(前・後編のうち前編。毎週水曜日に配信:JNN北京支局のポッドキャスト「北京発!中国取材の現場から」より抜粋・再構成。8月22日北京市内で収録)


「電気がない上海」「天安門事件」…中国勤務は「ハズレくじ?」

Q初めて中国に来た時の印象はどうでしたか?

本間会長

上海に1989年1月、北京は1991年に初めて来ました。1989年の上海は「真っ暗」でしたね。電力が不足していたので街灯がないんです。車も全然走っていない。タクシーを呼ぶときは外国人の宿泊を受け入れている外国人宿泊所へ行って「外貨兌換券」という外国人専用の特別なお金を使わないと手配できない時代でした。今はアプリでパッとタクシーが呼べちゃうので若い人に話しても信じてくれないんですけれども。本当にこの40年の中国の変化は我々日本人にも中国人にも想像を絶する幅だと思いますね。

この話をすると中国メディアの若手記者も首をひねって信じようとしないんです。「上海の浦東地区の開発は1991年に始まったんだよ。だから私が1989年に上海に行ったときは全く何もない荒れ地だったんだよ」っていうと「そう言われればそうですね」となるんですけれども、そのぐらい激しい発展を成し遂げてきたんですね、この国は。


Q当時は「この国で商売するのか」と不安になりませんでしたか?

本間会長

1985年に入社してその年の秋に「本間さんは台湾に行って中国語を勉強してもらう」と人事部に言われたんですけども「ちょっとハズレくじかな」と思いましたし同期の女性陣からは「本間くん格好わるい」って言われましたですね(笑)。


Qその頃の主流はやはりアメリカだったんですか?

本間会長

アメリカやヨーロッパに行けるのが海外研修生の憧れの的だったんですが同期20人のうち先進国に行けるのは4、5人で他は発展途上国に行くんです。そういう意味ではあまり気にならなかったです。


Q語学研修中の思い出はありますか?

本間会長

当時、中国と台湾は「三不通政策」(貿易・郵便・往来を認めない)をとっていました。同期で中国語を勉強した4人のうち2人が北京、1人が上海、そして私が台北でしたが3人とは2年間全く連絡が取れなかったです。2年経って大陸に行った同期から聞いたのは驚愕の大陸事情で、彼らは北京大学、復旦大学といった一流大学の外国人留学生寮に住んだのですが、食事が相当厳しかったと。白いご飯の中に石や砂が当然のように混じっていたというんです。目方をごまかすためなんですね。

一方の私は台北で毎週末、会社の先輩と一緒にお寿司屋さんへ行ってカウンターで寿司を食べるっていう生活をしていたので、そういう話をしたらたいそう嫌がられましたけども(笑)、80年代末の台北は今とあまり変わらない、非常に日本に近い生活水準でしたので、そういう意味では台湾に行けたのは本当に幸運だったと思いますね。


中国語上達の秘訣は「カラオケ」?

Q中国語が上手くなる秘訣は何ですか?

本間会長

ある程度カラオケが上手いことだと思いますね。中国語は「四声」というのがあって音が上がったり下がったりするんですね。自分が上がって発音しているのか下がっているのかわからないとこれはもう上手くなりようがないっていうのと、中国人が喋る内容もこの「四声」によって意味が変わるので、瞬時に聞き分け、喋り分けることができないとなかなか上達しないんですね。これは歌を歌うとか、すぐにメロディーを真似られる才能とすごく近いので、音痴の人は中国語は専攻しない方がいいと思いますね。

私は1985年10月に中国語の訓練を開始したんですけれども、最初の3ヶ月は発音の訓練しかしないのね。同期でインドネシア語を勉強してる奴はひと月ぐらい経つと先生とインドネシア語で喋ってるんで本当に羨ましく感じましたけども、そういう長い長いトレーニングの期間があってようやく習得できるというところはあるかもしれないですね。


Q1989年に天安門事件が起きました。中国と日本、世界との関係はどうなってしまうのかと思いませんでしたか?

本間会長

まさしくそう思いましたね。当時テレビのニュース番組で「中国が経済を再開放するのは21世紀後半になるんじゃないか」とおっしゃった方がいて「もしそうだとするとそのころ俺たちは退職してるじゃないの」。一生懸命苦労して中国語を勉強したけれど大ハズレだったかもしれないということで同期と梅田で自棄酒を飲んだのをよく覚えております。


Qしかしその後の日中関係の回復は早かったですね?

本間会長

西側の経済制裁を一番手で下ろしたのが日本政府だったんですね。それで私たちも1991年から営業活動を再開することができました。まさに私たちの会社がある国貿地区の建設が始まったばかりで、中国大飯店と国貿公寓とオフィスビル、この3つだけができたところでした。外国人が誰も来ないのでものすごく安い値段で立派なホテルに泊めていただいたのをよく覚えています。それが今は見渡す限りの摩天楼に国貿地区が発展したというのも、たった30数年なんですよね。


飛行機に鶏…カオスから最先端の中国へ

Q当時中国で仕事をするにあたって苦労したこと、逆に面白かったことは何ですか?

本間会長

まさに90年代は中国が高度成長に向けていろんな変化が大きく起こったカオスの時期ですし、製造業がいっぺんに立ち上がってきた、混乱と高度成長の時期なんですよね。私たちも香港から深センに入って中国中を巡って日本に帰ってくるという出張を毎月1週間から10日していましたが、飛行機の時刻表はまだ紙で、飛行機に乗るのも全部手作業で搭乗券が割り当てられるんですけども、一旦ダイヤが乱れると中国の皆さんがカウンターに押し寄せて収拾がつかなくなるんですよね。でもその飛行機に乗らないとスケジュール全体がめちゃくちゃになってしまうので恥も外聞もなく「私は外国人で、外国人のチケットは高いんだから乗せてくれ!」と大声で叫びながら日本のパスポートを振りかざして搭乗するというような、性格を変えないとやっていけないみたいな時期でしたね。

若い人はなかなか信じないのですが、四川省の成都から上海に飛行機で行ったとき、あるお母さんが竹の籠に生きた鶏を入れて機内に持ち込んだんですよ。そしたらCAが怒って「これは駄目だ。ちゃんと預けなさい」って言ったらお母さんは「いや、私が育てた健康な鶏を上海で働いている息子に食べさせたいんだ。だから自分で持って運びたい」と。そうしたら周りの乗客が「そのお母さんは正しい!」って言ったんですよ。最後はCAが根負けして上の荷物棚に鶏を置くことを許可していましたけれども「何でもありだな」と思ったのをよく覚えていますね。


Q逆に中国変わっていないな、ということはありますか?

本間会長

それはやはり「家族を中心とした価値観」は昔と変わってないんじゃないでしょうかね。戦乱が絶えなかった中国でとても血縁が重視されるというのは今も変わっていないと思うし、自分の子どもに一番良い教育を与えたいという親の気持ちも変わっていないように思いますね。


Qおすすめの食べ物は何ですか?

本間会長

僕は最初の研修が台北だったので好きな中華料理は台湾料理と広東料理ですね。台湾料理は素朴な、あまり高い材料を使わない質素な料理ですが質素な分、素材の良さが出るので私は好みです。広東料理もあっさりしているので日本人には向いているんじゃないでしょうかね。


Q休日はどう過ごしていますか?

本間会長

日中文化交流の遺跡を訪ね歩くのをひとつの時間の使い方として意識しています。日中の文化交流は記録が残る限り1400年ぐらい、遣唐使の時代から続いていますが、日本の留学生が留学していた寺院などは結構まだ残っているんですね。そういうところをひとつひとつ訪ね歩くのを地方出張の際にはしていますね。

私は新型コロナが感染拡大した2年間、丸々こっちにいたんですけれども一生懸命万里の長城に登りました。6ケ所の万里の長城に45回ぐらい登ってますが、登って北京の方を見るとですね、外敵から守るための城壁が北京からこんなに近いところにあるんだというのは登らないとわからないし、よくもまあこんな長い城壁をいろんな工夫をしながら造ったもんだというのは行くとよくわかりますね。


「改革開放の果実を感じてほしい」鄧小平と松下幸之助の出会いから始まった中国ビジネス

Qパナソニックは中国とのご縁が深くて、1978年に鄧小平さんが日本で松下幸之助さんと会談、松下さんが「中国の近代化をお手伝いします」と約束して以来、ご縁が始まったんですよね。

本間会長

そうですね。79年80年と既に83歳だった松下幸之助が2回訪中して、北京・上海・広州と巡って45の町で125の技術協力を決めるんですね。そういうエネルギッシュな活動が今でも中国の方々や政府の皆さんに深く記憶されているのは私たちにとって大変な誇りですね。

松下幸之助が「改革開放の果実を中国の皆さんが一番感じるのはカラーテレビの普及じゃないか。だからカラーテレビの普及をお手伝いしよう」と方向を決めてブラウン管やテレビ部品の事業が始まったんです。当時は外国企業の投資を保護する法律も整っていなくて北京市の副市長が取締役として入って子細にいろんなことを調整したというふうに聞いています。

当時、カラーブラウン管の工場をこちらで運営するために200名の中国人社員を大阪の工場に送って短い人で3ヶ月、長い人は2年間訓練してノウハウを伝えたんです。生産だけでなく近代的な製造業を運営するための一切合切のノウハウ、例えば会計などの知識も当時の中国は欠乏していたんですね。それをパッケージで持ってきたということが私たちが大変に評価されているところですし、私たちも大変誇りに思うところです。それから37年を経て現在、パナソニックの中国・アジア事業は1.9兆円、会社全体の24%を占めています。この事業を約5万名の社員とともに運営しています。


「『政経一体の国』に日本企業の声を伝える」 中国日本商会の役割とは

Q中国日本商会というのはどういう組織なんでしょうか?

本間会長

1981年に設立された中国で最も古い外国企業の商工会議所になります。また中国の法律で唯一認められた日本企業の商工会ということが非常に明確に位置づけられております。中国には結社や集会の自由がないので、こういうお墨付きっていうのは大変大事なんですね。会員は約520社です。

縁あって約2年前に会長に就任したんですけれども、当時はコロナを経て日本企業の事業環境も非常に難しい時期だったんですね。ですから「日本企業の声をひとつにして、中国政府なり日本政府に伝えることが大事なんじゃないか」と大使館幹部に話したところ、当時の垂秀夫中国大使から「じゃあ本間さんやってよ」とリクルートされちゃったんですけれども。皆さんの声を聞く「公聴活動」、それを整理して日中両国政府にお伝えする「渉外活動」、それらの活動を皆さんにまたお伝えする「広報活動」を3本柱にしております。


Q中国という難しい国ですから、まとまって交渉するのが大事なのでしょうか?

本間会長

中国が西側の国と決定的に違うのは「体制」なんですね。多くの日本人にはわかりにくいと思うんですが、中国は「政経一体の国」なんです。非常に細かいことまで政治が差配するのが中国の特徴です。

政治の人たちに私たちが困っていることや解決して欲しいことをタイミングよくポイントを絞って訴えかけていくというのが大変重要かなと思います。アメリカやヨーロッパの企業も同じように商工会を持っていますが規模には大きな差がありまして、アメリカもヨーロッパも数十名の専従職員がいてレポートや陳情するドキュメントを作るんですけれども中国日本商会は専従は2人しかいないんですね。あとはみんな会員の持ち寄り、ボランティアで運営してるんです。それでもこの2年間で私たちの知名度は欧米と劣らないところまで改善できたんじゃないかなと思っておりまして、会員の皆さんに本当に感謝しております。


Q先日もレアアースの輸出規制緩和を要望されていましたが、成果も得られているのでしょうか?

本間会長

そうですね。中国政府は少し皆さん意外に思われるかもしれないですけれども、外国企業をとても大事にしているんですね。理由は法人の数では中国全体の0.8%しかない外国企業が就業者数で8%、税収で18%、輸出で30%を支えているというのを中国政府の幹部があるところで発言していて、それは多分オフィシャルな数字だと思うんですね。税収の18%を外国人が支えているってなかなか日本の皆さんに理解しにくい状況だと思うんですけども、中国政府は私たち外国企業の動向をある意味とても気にしています。

従って日本企業の意見は中国日本商会に聞けば出てくるという存在になれば結構重宝して頂けるんですね。レアアースについても日本企業の要望は丁寧に聞き取っていただきましたし、最終的に大阪万博の中国ナショナルデーの少し前に大量の許可が交付されて非常に多くの日本企業が難しい時期を脱することができたんじゃないかなと思います。


Q去年11月にはビザなし渡航も再開されました。こちらも商会で重ねて要望されていましたよね?

本間会長

本当に大きな成果であり、私達も誇っているんですけどもこのビザなし渡航は年末までの暫定措置なんですね。これを延長して恒久的な措置にして頂きたいというお願いも既に始めています。

ただし日本から中国への渡航者数は残念ながら今年に入ってあまり伸びていないんですね。逆に中国から日本に行く旅客は30%、40%という成長になっておりまして、この交流のギャップというのは我々も本当に気にしております。今日の中国の発展ぶりはやっぱり来て見て感じないとわからないですよと。ぜひ百聞は一見に如かず。来てくださいというのを会う人会う人に申し上げているという感じですね。


Qどうして皆さん中国に来てくれないのでしょうかね?

本間会長

恐れを抱かせるような報道も少しあると思うし、反スパイ法に関して明瞭な説明がないことも私は日本企業幹部の行動に影響を与えていると思うんですけれども、その辺ももっと踏み込んだクリアな説明をして頂いてぜひ皆さんが安心して来ていただける環境を整備して頂きたいと思いますね。


(後半に続く。音声配信でお聞きになりたい方はポッドキャスト「北京発!中国取材の現場から」で)

聞き手 JNN北京支局長 立山芽以子 
JNN北京支局カメラマン 中野陽


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情報提供元:TBS NEWS DIG Powered by JNN

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