
長嶋茂雄終身名誉監督が3日に死去したことを受け、都内で槙原寛己氏(61)が取材に応じ、「本当にショックですし、来るべき日が来てしまったかという思いで、やっぱ力抜けるっていうのはこういうことかなと。朝からびっくりしました」と心境を語った。
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1981年にドラフト1位で巨人に入団。第2次長嶋政権(1993年〜2001年)の期間、槇原氏は斎藤雅樹氏、桑田真澄氏とともに「先発3本柱」として活躍した。1993年オフにFA宣言をした際には「『巨人に残ってくれお前が必要だ』ということを言われて」残留を決意。「必要だというふうに指揮官から言われ、一発で気持ちが晴れました。ジャイアンツでトータル20年近くお世話になるきっかけにもなりましたんで、非常に感謝しております」と当時を振り返った。
長嶋氏が監督を退任した2001年に槙原氏も現役を引退。「そのときにご挨拶に行って、『監督、あのときに止めていただいて、お陰様でジャイアンツで終わることができました』っていうふうに言ったら、『そうだろう。こういうふうになることがお前にとって一番いいことだっていうことは全部わかってたぞ』って言われたときに、『すごいな』と、非常にいい選択をしたなと」。
「本当に礎を築いた、特に今の野球人気の象徴的な王(貞治)さんと長嶋さんというのは。プロに入って、そういうふうにあるべきだっていうのを言葉でも教わったし、態度でも教えていただけた方。非常に尊敬しております」と偲んだ。
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