国内
2026-08-25 07:50
熊本県在住の河野やすこさん(アカウント名・地球上の緑)がInstagramに投稿した動画「熊本地震、その後」が、46万回再生を超える反響を呼んだ。令和8年熊本地震が発生した日は、夏休みを利用したタイ旅行からの帰国日だった。友人からの『大丈夫?』という連絡で、熊本で地震が起きたことを知ったという。余震が続くなか、5人の子どもを連れて帰国することへの不安もあったが、帰国後に確認した自宅の様子は想像以上だったと振り返る。取材時点では、自宅の修繕について「地震から約2週間がたった現在、屋根や室内の修繕が進み、暮らしを取り戻すための見通しも少しずつ立ち始めている」と話す。被災後の状況や復興への想い、SNS発信の真意について、投稿者の河野さんに聞いた。
【写真】旅先で集めた食器がほとんど割れた…震災後の荒れ果てたリビング
◆余震が続く中、5人の子どもを連れてタイからの帰国に不安も
――タイ旅行の帰国日、令和8年熊本地震の第一報を聞いた際の状況を教えて下さい。
「タイ旅行から帰国する日のことでした。夏休み中で、いくつかの場所を転々と旅をしてタイにいたため、友人から『大丈夫?』と連絡が来たときは、『どこで、何があったんだろう?』と、まだ悠長に構えていました。しかし、情報を集めるうちに熊本で大きな地震が起きたことや、被害の大きさが少しずつわかってきました」
――状況を把握されて、ご夫婦でどのような話し合いをされたのでしょうか?
「私と夫の意見は分かれました。私は『余震が続く中、子どもたちを連れてすぐに帰るのは危ないのではないか』と考え、夫は『家と農地のためにも帰りたい』と考えていました。結局もともとの予定どおり、地震発生から数時間後の飛行機で帰国しました」
――帰国後にご自宅の被害を直接目にした際、どのように感じられたのでしょうか?
「帰国後に確認した自宅の様子は、想像していた以上のものでした。大きな棚が倒れ、トイレの外壁からは水が滴り、室内の壁も崩れ落ちていました。いつも子どもたちが遊ぶ庭の軒下にはたくさんの屋根瓦が落ちてきており、『もしあのとき家にいたら、どうなっていただろう』と考えると、恐怖を感じました」
◆「災害大国の日本には住めない」と言われた過去も…改めて考える災害や安全への意識
――大切にされていた思い出の品々も被害を受けたのですね。
「旅先で集めたソ連時代のアンティーク食器もほとんど割れてしまいました。とても悲しかったのですが、今は『もしかしたら、私たちの身代わりになってくれたのかもしれない』と思うようにしています」
――現在のご自宅の被害状況や生活、復旧の進捗について教えていただけますか?
「地震から約2週間が過ぎ、瓦が落ちた屋根を覆っていたブルーシートは外され、現在は新しい屋根の下地までできています。崩れ落ちた室内の壁にも手が入り、少しずつ部屋の形が見えるようになってきました。2週間でここまで修繕が進むのかと、その速さに驚いています」
――パラグアイを旅行中に現地の方から「災害大国の日本には住めない」と言われた経験があったそうですね。
「その言葉を話してくれたのは、移民としてパラグアイへ渡った日本人を親に持つ、日系2世の方でした。その方は一時期日本でも暮らしたものの、『日本は災害が多すぎて、自分には住めない』と話していました。日本では大きな地震が繰り返し起こり、水害や台風も少なくありません。確かに自然災害の多い国だということは理解していましたが、これまで自宅が直接被害に遭った経験がなかったため、私にとってはまだ知識の中にある話でした」
――今回の令和8年熊本地震で、その言葉が実感へと変わったのでしょうか?
「今回、自分にとって最も安心できる場所だった家が、一度の地震でこれほど変わってしまう。それを目の当たりにして、初めて言葉の重みを、自分の感覚として理解したように思います」
――その体験を経て、災害や安全に対する考え方はどのように変化しましたか?
「日本では『海外は危ない』と、ひとくくりに語られることがあります。特に子どもを連れて旅をしていると、安全を心配されることも少なくありません。しかし見方を変えれば、日本も決してあらゆる面で安全とは言えません。もちろん危険を調べ、備えることは必要です。それでも、予測できない出来事はどこにいても起こり得ます。『日本だから安全』『海外だから危険』と、国名だけで分けることはできないのだと、今回改めて感じました」
◆熊本のコミュニティやつながり、助け合いの広がりに「人間社会が本来持っている力を感じた」
――これまで医師として医療現場で命と向き合ってきた経験や「生き方」に対する価値観は、震災を経て変化しましたか?
「今のところ、今回の震災によって生き方への価値観が大きく変わったとは思っていません。私は以前から、『今できることを、今やる』ことを大切にしています。医師として働くことも、5人の年子を育てることも、家族で2年間旅をしたことも、私の中では同じところにつながっています」
――どんな状況でも前を向いて歩んでいく姿勢は変わらないのですね。
「先のことを考えて準備はする。そのうえで、心配だけを理由に今やりたいことを諦めない。今回の震災で、その考え方をもう一度、身をもって確かめさせられたように思います。何が起こるかは選べなくても、それをどう解釈し、どう生きるかはまた自分たちで考えていきたいです」
――震災後、熊本のコミュニティやつながりを感じた印象的なエピソードはありますか?
「熊本では、炊き出しで千個のおにぎりを握る人、自宅の井戸水を開放する人、涼める場所を提供するお店、ペットを預かる人、マッサージする人、バーを夜の居場所として提供する人、落ちた梨をジュースにして届ける人など、それぞれが『自分にできること』を持ち寄っています。普段の肩書きや立場を越えて、即席のチームが次々と立ち上がっています。強い不安や疲労、苦しみのすぐそばで誰かのために動く人たちの間には、不思議な連帯感が生まれています。そんな光景が、熊本のあちこちで見られます」
――そうした助け合いの広がりを知り、どのように感じられましたか?
「突然の災難が襲い掛かったとき、人はただ立ち尽くすだけではなく、自分にできることを探し、誰かと繋がり、もう一度社会をつくり始める。それは人間社会が本来持っている力なのではないかと感じました」
――その中で、ご自身としての役割や伝えたいことを見出されたのですね。
「5人の幼子と生活する今の私には、現地で身体を動かし、提供できるものは少ないかもしれない。でも、私にはSNSという発信の場があります。遠く離れた人に、熊本の今に関心を持ってもらう。それが今の私にできる復興への関わり方かもしれないと考えました」
◆報道では届きにくい生活者の日常とその後の生活 SNS発信は「今の私なりの復興への関わり方」
――報道では見えにくい個人の日常を発信していく想いについて教えてください。
「全国の報道では、どうしても被害の大きかった場所や象徴的な出来事が中心になります。その一方で、そこで暮らす1人ひとりの日常や、その後の生活の変化までは届きにくいと感じています。だから私は、自宅の被害をSNSで発信しました。それが、今の私なりの復興への関わり方だと思ったからです」
――被災地の現状やそれぞれの日常は、伝わりづらいのも事実です。改めて伝えたいことはありますか?
「災害がない日にも、こうして『自分にできること』を持ち寄れる社会だったらいいな、と思いました。それと同時に、『やっぱり人間っていいな』と、今回の震災を通して改めて感じました」
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◆余震が続く中、5人の子どもを連れてタイからの帰国に不安も
――タイ旅行の帰国日、令和8年熊本地震の第一報を聞いた際の状況を教えて下さい。
「タイ旅行から帰国する日のことでした。夏休み中で、いくつかの場所を転々と旅をしてタイにいたため、友人から『大丈夫?』と連絡が来たときは、『どこで、何があったんだろう?』と、まだ悠長に構えていました。しかし、情報を集めるうちに熊本で大きな地震が起きたことや、被害の大きさが少しずつわかってきました」
――状況を把握されて、ご夫婦でどのような話し合いをされたのでしょうか?
「私と夫の意見は分かれました。私は『余震が続く中、子どもたちを連れてすぐに帰るのは危ないのではないか』と考え、夫は『家と農地のためにも帰りたい』と考えていました。結局もともとの予定どおり、地震発生から数時間後の飛行機で帰国しました」
――帰国後にご自宅の被害を直接目にした際、どのように感じられたのでしょうか?
「帰国後に確認した自宅の様子は、想像していた以上のものでした。大きな棚が倒れ、トイレの外壁からは水が滴り、室内の壁も崩れ落ちていました。いつも子どもたちが遊ぶ庭の軒下にはたくさんの屋根瓦が落ちてきており、『もしあのとき家にいたら、どうなっていただろう』と考えると、恐怖を感じました」
◆「災害大国の日本には住めない」と言われた過去も…改めて考える災害や安全への意識
――大切にされていた思い出の品々も被害を受けたのですね。
「旅先で集めたソ連時代のアンティーク食器もほとんど割れてしまいました。とても悲しかったのですが、今は『もしかしたら、私たちの身代わりになってくれたのかもしれない』と思うようにしています」
――現在のご自宅の被害状況や生活、復旧の進捗について教えていただけますか?
「地震から約2週間が過ぎ、瓦が落ちた屋根を覆っていたブルーシートは外され、現在は新しい屋根の下地までできています。崩れ落ちた室内の壁にも手が入り、少しずつ部屋の形が見えるようになってきました。2週間でここまで修繕が進むのかと、その速さに驚いています」
――パラグアイを旅行中に現地の方から「災害大国の日本には住めない」と言われた経験があったそうですね。
「その言葉を話してくれたのは、移民としてパラグアイへ渡った日本人を親に持つ、日系2世の方でした。その方は一時期日本でも暮らしたものの、『日本は災害が多すぎて、自分には住めない』と話していました。日本では大きな地震が繰り返し起こり、水害や台風も少なくありません。確かに自然災害の多い国だということは理解していましたが、これまで自宅が直接被害に遭った経験がなかったため、私にとってはまだ知識の中にある話でした」
――今回の令和8年熊本地震で、その言葉が実感へと変わったのでしょうか?
「今回、自分にとって最も安心できる場所だった家が、一度の地震でこれほど変わってしまう。それを目の当たりにして、初めて言葉の重みを、自分の感覚として理解したように思います」
――その体験を経て、災害や安全に対する考え方はどのように変化しましたか?
「日本では『海外は危ない』と、ひとくくりに語られることがあります。特に子どもを連れて旅をしていると、安全を心配されることも少なくありません。しかし見方を変えれば、日本も決してあらゆる面で安全とは言えません。もちろん危険を調べ、備えることは必要です。それでも、予測できない出来事はどこにいても起こり得ます。『日本だから安全』『海外だから危険』と、国名だけで分けることはできないのだと、今回改めて感じました」
◆熊本のコミュニティやつながり、助け合いの広がりに「人間社会が本来持っている力を感じた」
――これまで医師として医療現場で命と向き合ってきた経験や「生き方」に対する価値観は、震災を経て変化しましたか?
「今のところ、今回の震災によって生き方への価値観が大きく変わったとは思っていません。私は以前から、『今できることを、今やる』ことを大切にしています。医師として働くことも、5人の年子を育てることも、家族で2年間旅をしたことも、私の中では同じところにつながっています」
――どんな状況でも前を向いて歩んでいく姿勢は変わらないのですね。
「先のことを考えて準備はする。そのうえで、心配だけを理由に今やりたいことを諦めない。今回の震災で、その考え方をもう一度、身をもって確かめさせられたように思います。何が起こるかは選べなくても、それをどう解釈し、どう生きるかはまた自分たちで考えていきたいです」
――震災後、熊本のコミュニティやつながりを感じた印象的なエピソードはありますか?
「熊本では、炊き出しで千個のおにぎりを握る人、自宅の井戸水を開放する人、涼める場所を提供するお店、ペットを預かる人、マッサージする人、バーを夜の居場所として提供する人、落ちた梨をジュースにして届ける人など、それぞれが『自分にできること』を持ち寄っています。普段の肩書きや立場を越えて、即席のチームが次々と立ち上がっています。強い不安や疲労、苦しみのすぐそばで誰かのために動く人たちの間には、不思議な連帯感が生まれています。そんな光景が、熊本のあちこちで見られます」
――そうした助け合いの広がりを知り、どのように感じられましたか?
「突然の災難が襲い掛かったとき、人はただ立ち尽くすだけではなく、自分にできることを探し、誰かと繋がり、もう一度社会をつくり始める。それは人間社会が本来持っている力なのではないかと感じました」
――その中で、ご自身としての役割や伝えたいことを見出されたのですね。
「5人の幼子と生活する今の私には、現地で身体を動かし、提供できるものは少ないかもしれない。でも、私にはSNSという発信の場があります。遠く離れた人に、熊本の今に関心を持ってもらう。それが今の私にできる復興への関わり方かもしれないと考えました」
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――報道では見えにくい個人の日常を発信していく想いについて教えてください。
「全国の報道では、どうしても被害の大きかった場所や象徴的な出来事が中心になります。その一方で、そこで暮らす1人ひとりの日常や、その後の生活の変化までは届きにくいと感じています。だから私は、自宅の被害をSNSで発信しました。それが、今の私なりの復興への関わり方だと思ったからです」
――被災地の現状やそれぞれの日常は、伝わりづらいのも事実です。改めて伝えたいことはありますか?
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