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第一勧銀事件の核心に迫る「総務部メモ」 応援検事がつかんだ決定的証拠は巨大銀行首脳の逮捕…そして大蔵省接待汚職事件へ【平成事件史の舞台裏(35)】

国内
2026-10-25 06:30

1997年5月20日、東京地検特捜部は、第一勧業銀行本店への強制捜査に踏み切った。


【写真で見る】TBSテレビのインタビューに応じる第一勧銀・宮崎邦次前会長


戦後最大級の総会屋事件は、日本を代表する金融機関の中枢にまで捜査の手が及ぶ、前代未聞の展開を迎えた。


その突破口を開いたのが、当時31歳の応援検事、葉玉匡美だった。


総会屋・小池隆一側に流れた巨額の資金。その背後には、第一勧銀が二つのノンバンクを介して資金を流す「迂回融資」の仕組みがあった。葉玉は、関係者の供述と物的証拠を突き合わせ、同社の上層部が関与していた実態を突き止めた。


それまで捜査の壁となっていた「銀行本体の関与」を裏付ける決定的な証拠だった。


金融ビッグバンを目前に控え、金融機関と総会屋など反社会的勢力との癒着を断ち切ることが求められていた時代。しかし、巨大銀行の本店は、検察にとっても容易には踏み込めない“聖域”だった。


その壁を破ったことで、特捜部は銀行ぐるみの不正の解明に向け、大きく踏み出した。


本店への家宅捜索は14時間以上に及び、押収された証拠品は段ボール箱600箱近くに上った。だが、それは捜査の終わりではなく、新たな始まりだった。


膨大な資料を読み解く作業の先には、第一勧銀の歴代首脳がどこまで不正融資に関与していたのかという、事件の核心が待ち受けていた。


そして、捜査はやがて、銀行と総会屋の癒着という枠を超え、政官財を揺るがす「大蔵省接待汚職事件」へとつながっていく。


第一勧銀への強制捜査を起点に、特捜部はいかにして大蔵省の中枢へと迫っていったのか。その過程には、押収資料の一枚一枚から事実を積み上げ、見えなかった資金と人脈の流れを解き明かしていく、地道な捜査の積み重ねがあった。


当時の取材記録や関係者の証言をもとに、今だから明かせる捜査の舞台裏を描く。 


極秘扱いの「総務部メモ」

東京地検特捜部の応援検事、葉玉匡美(45期)の目の前には、天井まで積み上げられた段ボール箱の山があった。


その膨大な証拠品を前に、葉玉の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。


「30億円もの融資を実行した後も、小池は何年にもわたって追加融資を受け続けている。当然、その間には役員も担当者も何度も交代している。それなのに、こんなわけの分からない取引に対して、誰一人として『おかしい』と言わなかったのはなぜなのか」
「これほど不可解な取引が継続できた以上、後任への引き継ぎは必ず行われているはずだ。その記録が、どこかに残っているはずだ」


葉玉は、そう考えた。


歴代幹部は、この異常な融資をどう受け止め、どのように後任へ引き継いできたのか。事件の核心を解くカギは、「引き継ぎ資料」にあるのではーー。


そう直感した葉玉は、まず押収した600箱近くの証拠品の中から、重要書類が保管されている可能性の高い約100箱を選び出した。


そして、そこから集中的な精査を始めた。


そして、ブツ読みを続けること数日。一枚の文書が、葉玉の目を釘付けにした。


それは、通常の「稟議書」ではなかった。表紙には、ただ「総務部メモ」と記されていた。何気なくページをめくった葉玉は、次の瞬間、手を止めた。


そこには、第一勧銀内部で行われていた融資の実態を示す記録が残されていた。


葉玉は、こう振り返る。


「ある専務取締役が副頭取へ昇格する際、後任の専務に引き継ぐための書類があった。この中に、今回の融資スキームがワープロで印字された1、2枚の『B5』資料があり、その余白に手書きのメモが記されていた」


やはり、「引き継ぎ」は行われていたのだ。葉玉が探し求めていたものが、ついに姿を現したのである。


その「総務部メモ」は、やがて第一勧銀の首脳陣を立件へと導く、決定的な物証となった。


エリート銀行ぐるみの不正

一見すると、ごくありふれた内部文書だった。


しかし、その一枚の「総務部メモ」が、第一勧業銀行首脳らの関与を裏付ける動かぬ証拠となった。


このメモは、小池隆一側への融資を特別な「総務部マター」として扱うために、総務部が作成し、審査担当役員へ提出していた内部資料である。


通常、銀行融資は、担当部署が作成した「稟議書」をもとに、審査部門が融資の妥当性を検討し、役員決裁を経て実行される。通常の取引先であれば、総務部が間に入ることはありえない。


ところが、小池案件だけは違っていた。


まず総務部から「総務部メモ」が審査担当役員へ届けられ、その段階で「この案件は特別扱いとする」ことが共有される。


つまり、本来なら厳格に行われるべき審査が、事実上"素通り"になる仕組みだった。その後に回付される「稟議書」は、あくまで形式を整えるための手続きにすぎなかった。


小池案件に対する融資を認めるという結論は、最初から決まっていたのである。


1997年6月5日、事態は一気に動く。家宅捜索から16日後のことだった。


東京地検特捜部は真っ先に「総務部メモ」を作成した担当者らを商法違反で逮捕した。逮捕されたのは、第一勧銀の猪爪博前総務担当常務ら歴代の総務部幹部らである。


歴代の総務部長らは、濃淡の差はあってもこの「総務部マター」に関わっていた。


息つく間もなく特捜部は6月10日、元副頭取を含む歴代の役員4人を逮捕した。このうち1人は総務担当、3人は審査担当の元役員だった。
特捜部は小池窓口の総務部ラインだけでなく、融資が公平に行われているかをチェックすべき立場の審査部ラインが「決裁」に深く関わっていたと判断した。


逮捕されたのは、小池案件の融資窓口となっていた総務担当の田中賢二元専務、それにいずれも審査担当で、元副頭取の金澤彰、内田恒雄、元常務の寺澤康行である。


小池への融資がすでに「回収不能」となっていることを知りながら、株主総会を円滑に終わらせる見返りとして、「大和信用」を介した「迂回融資」を了承していた疑いだ。


第一勧銀歴代首脳による「銀行ぐるみ」の利益供与が、ついに刑事事件として立件された瞬間だった。


東京拘置所で審査担当役員を取り調べ

葉玉が身柄を担当したのは、審査担当役員として「総務部メモ」の引き継ぎを受けた疑いがもたれていた寺澤康行元常務だった。


特捜部は東京・立川市の自宅から任意同行した上で逮捕し、そのまま東京拘置所へ移送。葉玉は連日、東京拘置所の取調室で寺澤と向き合った。


31歳の応援検事が、日本を代表する大手銀行の元常務を取り調べる。極めて異例の役割だった。 


逮捕直後の言い分を記す「弁解録取書」の作成中、寺澤は容疑を否認した。


「私はこの件に関与していないと思います」
「なぜなら、この件をニュースで知ったときに憤りを感じました」
「小池隆一の名前すら聞いたこともないし、なぜ自分が逮捕されたのかわかりません」
「総会屋の案件だったことも記憶にありません」


その姿勢は一貫していた。


しかし、葉玉が「総務部メモ」を机の上へ置いた瞬間、寺澤の表情が一変した。葉玉は、その瞬間を今も鮮明に覚えている。


「寺澤さんの顔色がみるみる変わった。そして、『覚えてはいませんが、この字はたしかに私の字です。これは私が書いたものに間違いありません』と、自分がエンピツで書いた字であることを、その日のうちに認めてくれた」


寺澤はこう供述した。


「なぜ自分はこんな不正行為の引き継ぎを受けてしまったのか、自分のやったことを後悔しています…」


東京拘置所でのやりとりは、葉玉が検察官人生を振り返ったとき、今なお深く記憶に残る。


「きわめて穏やかで、誠実な人だった。その人柄が忘れられない。能力も抜群だったが、それ以上に、とにかく人格者だった。こちらに対して何ひとつ取り繕うことなく、すべて正直に話してくれた。その姿勢には、強く心を打たれた」


捜査の現場ではよく「ブツに聞け」と言われる。物的証拠、いわゆるブツは嘘をつかないため「物証に語らせて真相を明らかにしろ」という意味である。


「小池案件」を会見で認めた藤田副頭取を逮捕

さらに捜査の矛先は、総務部、審査部の担当役員にとどまらず、経営トップにまで向けられた。特捜部は6月13日、第一勧銀の次期頭取に内定していた藤田一郎副頭取と、福島建夫専務を逮捕した。


藤田は逮捕に先立つ5月23日、次期頭取として紹介された記者会見で、爆弾発言をした。


「審査を担当していたこともあり、小池の案件を前から知っていた」


小池への融資を以前から認識していたことを自ら明らかにしたのだ。


これについて藤田は「嘘をつきとおすことはできない。私の事実を正確に伝えるという考えを世間の常識にぶつけてみたが、通じなかった」と述べたという。


記者会見のあと藤田は会社に「次期頭取を辞任したい」と申し入れ、聞き入れられなかったというが、最終的に逮捕されたことで、人事は白紙に戻った。特捜部は藤田が記者会見で発言する以前から、すでに捜査対象として裏付け捜査を進めていた。


もう一人の逮捕者、福島建夫専務には知られざる一面があった。


バブル時代に巨額詐欺事件で逮捕された大阪の女将、尾上縫をめぐる融資である。


営業担当者から「会長か社長のどちらかに紹介してほしい」と申し出があった際、福島は強硬に反対した。トップと尾上の会談を阻止し、さらに、それまで続いていた尾上への融資も止めさせた。


この対応は「体を張ってトップを守った」と評価され、福島は一躍、頭取候補に躍り出たのであった。しかし、その将来も、逮捕によって断たれることになった。


第一勧銀側の弁護士は、「藤田副頭取、福島専務の逮捕はないだろう」と見込んでいたという。


だが、その見通しは見事に外れたのである。


第一勧銀の最高権力者「宮崎前会長」と「奥田会長」

そして、次なる特捜部の最大のターゲットとなったのは、第一勧銀の最高権力を握っていた二人だった。


相談役で前会長の宮崎邦次と、現職会長の奥田正司である。


宮崎は1988年から1992年まで頭取、会長を歴任し、フィクサーの木島力也とは1970年代後半から交流があった。1971年の第一勧銀発足後、5年以上にわたって初代会長として君臨した井上薫の秘書役をしていたからだ。


第一勧銀の「神様」と呼ばれた井上初代会長。「第一勧銀と木島」の関係イコール、「井上と木島」の関係と言われていた。


奇しくも、井上とフィクサーの木島の二人は、1993年に相次いで世を去っている。井上の死後、木島や小池との関係は、宮崎へと引き継がれていった。


宮崎、奥田という最高幹部に捜査のターゲットが定まるなか、葉玉の司法修習同期、中村信雄(45期)が総務部幹部からある重要な供述を引き出した。


「1992年9月4日、当時会長の宮崎さんと頭取の奥田さんが、銀座の料亭『吉兆』で、木島の食道がんの手術後の退院祝いを行い、そこで小池のためにノンバンク経由で融資を続けることが約束されました」(総務部幹部供述)


会長と頭取という銀行トップ2人が同席したこの会食で、小池への融資継続が決められた。いわゆる「吉兆会談」である。


実は次期頭取に内定していた藤田副頭取の逮捕にこぎつけた特捜部長の熊﨑は、第一勧銀ルートの捜査は十分やり切ったとして、ひとまず「これが落とし所」だと考えていた節がある。


だが、宮崎、奥田の両トップと、木島との「吉兆会談」の存在が明らかになったことで、捜査の様相は一変した。二人が融資継続に関与していたことがはっきりしたからだ。


特捜部の動きを察知したのか、この頃、奥田会長は社内の調査委員会に対して、「小池への融資について報告を受けていたこと」を認め始めていた。


特捜部は、宮崎前会長と奥田会長の刑事責任を追及するため、藤田副頭取の逮捕から2週間後の6月27日、二人に対して東京地検への出頭を要請した。


報道陣を避けるため「帝国ホテル」に滞在していた二人は、27日と28日の2日間にわたり、特捜部の事情聴取を受けた。


ところが、その矢先だった。


6月29日、宮崎前会長は東京・三鷹市の自宅で首つり自殺を図る。


杏林大学病院高度救命救急センターに搬送されたが、意識不明のまま死亡が確認された。67歳だった。その日は、一週間ぶりにホテルから自宅に戻った日であった。


書斎には、遺書が残されていた。


「今回の不祥事について深くお詫び申し上げます。相談役退任の日に、身をもって責任を全うする決意をいたしました」


この文面からすれば、宮崎前会長はその約2週間前には、すでに決意を固めていた。


宮崎前会長の死で捜査の行方は

宮崎前会長は佐賀県出身。九州大学を卒業後、1952年に旧第一銀行に入行した。


日本勧業銀行との合併によって誕生した第一勧銀では、MOF担(大蔵省担当)を務めた後、合併の立役者だった井上薫初代会長の秘書役を務めたことがきっかけで、出世の階段を上った。


第一勧銀と木島との「呪縛」のいきさつを誰よりも知るとされたのが宮崎だった。


映画通としても知られ、週刊誌に映画評論を寄稿したこともあった。部下や周囲に分け隔てなく接する「気配りの人」として知られていたという。


その宮崎前会長の死は、関係者に大きな衝撃を与えた。


東京拘置所の取調室で訃報を聞いた総会屋・小池隆一は、涙を流して激しく動揺し、椅子から転げ落ちるほど取り乱したという。


そして、この日を境に、小池の供述が変わり始める。


それまで一貫して容疑を否認していた小池は、特捜検事の八木宏幸(33期)の取り調べに対し、第一勧銀から受けた利益供与について、少しずつ口を開き始めた。


突然の捜査対象者の死。


それでも東京地検特捜部が捜査の手を緩めることはなかった。7月4日、特捜部は横浜市緑区にある奥田正司会長の自宅に出向き、任意同行を求めた。東京地検は商法違反(総会屋への利益供与)の容疑で逮捕状を執行、そのまま小菅の東京拘置所に移送した。


奥田は1992年から頭取を務め、1996年には会長に就任。第一勧銀の頂点に立った人物である。宮崎前会長の自殺から、わずか5日後のことだった。


全国銀行協会の会長まで務めた人物の逮捕は、前例のない出来事だった。


特捜部長の熊﨑は、奥田の取り調べをキャップの大鶴に命じた。


「最後はおまえが調べろ。(宮崎自殺直後という状況の中で)奥田は絶対に正直にしゃべるから大丈夫だ」


大鶴の取り調べに対し、熊﨑の想定通り、奥田は容疑を認めた。


特捜部は、総会屋・小池側に対する118億円の融資について、元副頭取の金澤や内田らから報告を受け、その実行を了承していたとして奥田を起訴した。


その後、懲役9か月、執行猶予5年の判決が言い渡され、確定した。


奥田は京都府出身。京都大学を卒業後、1955年に旧日本勧業銀行に入行した。


「もともと、奥田さんは、旧日本勧業銀行出身者にとっては、木島力也と第一勧銀との関係について、あれは旧第一銀行の案件で、自分は旧日本勧業銀行出身だから関係ないという思いが強かった」(関係者)


しかし、奥田が頭取に就任するころには、宮崎から木島を「大事なお客さん」として紹介されていた。人事畑を歩み、労働組合の委員長も務めた奥田だったが、トップに上り詰めた後も、第一勧銀と総会屋との長年にわたる関係を断ち切ることはできなかった。


第一勧銀事件では最終的に、奥田正司会長をはじめ、歴代幹部11人が起訴された。


そして、その後、全員の有罪が確定した。一人の経営者の責任だけではなかった。


第一勧銀の歴代トップへと受け継がれてきた総会屋との関係。その長年の癒着構造そのものが、ついに司法の手によって断ち切られたのである。


第一勧銀事件の、その先にあったもの

総会屋と第一勧銀の癒着は、「銀行ぐるみ」の不正だったことが司法の場で認定され、戦後の金融史に残る一大事件として決着した。


しかし、東京地検特捜部の視線は、すでにその先を見据えていた。


1997年5月20日に行われた第一勧銀本店への未曽有の強制捜査。


約100人態勢で第一勧銀本店に踏み込み、14時間半に及ぶ家宅捜索で、段ボール約600箱に上る証拠品を押収した。家宅捜索はその後も続いた。第一勧銀の幹部が逮捕されるたびに行われ、最終的に計4回に及んだ。


そこには総会屋事件の裏付けを固めるだけではない、もう一つの狙いがあったのである。


ある特捜検事は、当時をこう振り返る。


「あの家宅捜索は、総会屋事件だけを見ていたわけではなかった。今だから言えるが、第一勧銀から監督官庁である大蔵省へ、何らかの利益供与が行われているはずだという見立てが、すでにあった。特捜部長だったか、副部長かキャップだったか、誰に言われたのかは忘れたが、『とにかくMOF(大蔵省)担当の机を空っぽにしてこい。第一勧銀を丸ごと引っ越しさせるつもりで、押収できるものは全部持ってこい』と指示されたのを覚えている」


家宅捜索の狙いは、小池隆一との取引記録だけではなかった。


第一勧銀内部に眠るあらゆる資料を徹底的に持ち帰ることだったのである。そして、その膨大な証拠品を分析する過程で、特捜部は思いもよらない記録を発見する。膨大な「接待交際費の伝票」と、その内容を記した「接待リスト」だった。


ところが、そこに記された接待相手の名前を見ても、それがどこの誰なのか、すぐには分からない。


そこで、キャップの大鶴は、数字に強い葉玉に相談を持ちかけた。


「第一勧銀の膨大な接待交際費のリストが見つかった。この中から大蔵官僚が含まれているケースだけを抜き出せないか。何かうまい方法はないか」


第一勧銀のリストには、接待相手の名前、日時、店、金額、同席者などが細かく記録されていた。しかし、大蔵官僚だけでなく、あらゆる接待相手が混在していた。


エクセルを駆使した接待官僚の絞り込み

葉玉には、一つの知恵が浮かんだ。


当時、検察庁では、ほとんど使いこなせる検事がいなかった「エクセル」を使うことだった。


「当時、あまり誰も使っていないエクセルが得意だったこともあり、第一勧銀のリストをエクセルに入力して、その下に大蔵官僚の名簿を追加で打ち込んでみた。それを、一番上の行の名前でソートすることで、名前順のリストが完成した。大蔵官僚には、あらかじめ赤とかピンクの色をつけていたから、それで大蔵官僚の接待だけを抽出することができた。
しかも、接待金額の多い順に大蔵官僚を並べることができた」(葉玉)


エクセルの画面に浮かび上がったのは、第一勧銀による大蔵省接待の実態だった。


東京・歌舞伎町の「ノーパンしゃぶしゃぶ店」をはじめ、高級料亭、銀座のクラブ、ゴルフ場ーー。


さまざまな場所で、過剰ともいえる接待が繰り返されていた。


接待金額が一人で数百万円を超えるケースも、珍しくなかった。接待を受けていたのは、日本の金融行政を担う大蔵省のエリート官僚だった。


なかでも突出していたのが、銀行局や証券局の幹部だった。接待の規模も、特捜部の想定をはるかに超えていた。


もっとも、接待を受けていたという事実だけで、直ちに事件になるわけではない。収賄罪を立件するには、「接待を受けた」という事実だけでは足りない。


その見返りとして、どのような便宜が図られたのか。つまり、行政上の判断と接待との間に、刑事裁判で立証できるだけの対価関係が存在するのか。


それを一件一件、膨大な接待伝票を突き合わせながら、精査し、分析していかなければならなかった。待っていたのは、気の遠くなるような地道な捜査だった。


だが、その地道な捜査の先に、特捜部は戦後の官僚制度を根底から揺るがし、日本中を震撼させる一大汚職事件へとたどり着く。


大蔵省接待汚職事件ーー。


「ノーパンしゃぶしゃぶ」という言葉が世間を席巻し、「大蔵省解体」への引き金となった未曽有の汚職事件。


その発端は、第一勧銀本店で押収された膨大な接待伝票と接待交際費のリスト、そこから大蔵官僚への接待を浮かび上がらせた応援検事の知恵にあったのである。


(つづく)


TBSテレビ
ゼネラルプロデューサー/元司法記者
岩花 光


《参考文献》
TBSテレビニュース原稿・アーカイブ映像
村山 治 「市場検察」 文藝春秋
読売新聞社会部 「会長はなぜ自殺したか」 新潮社
産経新聞金融犯罪取材班 「呪縛は解かれたか」KADOKAWA
熊﨑勝彦/鎌田靖 「平成重大事件の深層」中公新書クラレ
司法大観/財団法人法曹界


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