1970年代に歴史的な銃乱射事件を起こした「日本赤軍」のメンバー・岡本公三容疑者。生前、謝罪の意を示すことなく、「さらなる行動を起こしたい」と語っていたと長年交流していた人物が証言しました。
記者
「ベイルート郊外にある墓地です。ここにはイスラエル軍との戦闘で死亡したパレスチナ人の戦闘員などが埋葬されています。その一角に岡本容疑者の墓があります」
78歳で死亡した国際テロ組織「日本赤軍」のメンバー・岡本公三容疑者。この容疑者が起こしたのが、1972年のロッド空港事件です。イスラエルの空港で仲間2人と銃を乱射し、100人が死傷しました。
岡本容疑者はイスラエルで終身刑となりましたが、1985年に捕虜交換の一環で釈放され、その後、レバノンで亡命生活を送っていました。
事件の容疑者である一方、イスラエルと敵対するパレスチナ側には英雄視されています。
私たちは今回、岡本容疑者をよく知る人物に接触することができました。
パレスチナ解放人民戦線 アブ・ユセフ氏
「安全上の理由から、彼は人間らしい生活を送ることができませんでした。私たちは、岡本公三を失わないよう、あらゆる予防措置を取る必要がありました」
2000年代に入ってからはレバノン国内で頻繁に居場所を変えながら生活を続けました。もともと患っていた病気が4、5年前から悪化して、今月上旬に緊急入院し、23日に死亡したということです。
岡本容疑者は、ロッド空港事件をどのように受け止めていたのか。40年にわたり交流を続けてきたバデル・ニメル氏は、こう証言します。
パレスチナ解放人民戦線総司令部 幹部 バデル・ニメル氏
「彼は、あの事件を自らの闘争人生の出発点、原点だと考えていました」
岡本容疑者は最期まで事件について、謝罪や後悔の言葉を口にすることは一切なかったといいます。また、2023年のイスラム組織ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃などを含め、イスラエルに対する作戦のニュースに触れるたびに喜んでいたということです。
パレスチナ解放人民戦線総司令部 幹部 バデル・ニメル氏
「できることがあるなら、さらなる行動を起こしたいと常に話していました。大義であり、闘いは継続しなければならないと強く主張していました」
しかし、岡本容疑者の正当化し続けた行動は、事件から半世紀あまりたった今も遺族らの心に傷を残したままです。
ロッド空港事件で母親を失った女性(イスラエルメディア)
「彼は多くの人々の人生を破壊し、私の母を奪った。私はすべてを失いました」
岡本容疑者を含む「日本赤軍」メンバー7人は、現在も国際手配中です。
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