
バラエティー番組の司会やニュースキャスターとして活躍した久米宏さんが亡くなりました。
【写真で見る】黒柳さんのヘアスタイルに“たまねぎ”「久米さんが言ったんですよ」
日本のテレビ史に大きな功績を残した久米さん。TBSの音楽番組「ザ・ベストテン」で共演した黒柳徹子さんに話を聞きました。
黒柳徹子さん「久米さんほど間合いの合う人はいなかった」ザ・ベストテン秘話
黒柳徹子さん
「何千何百何十という数を久米さんが言うじゃないですか。それから歌の名前と歌手の名前とそういうのを言うとき本当に鮮明でした。不明瞭なところはなかった。アナウンサーとしてはもう最高でしたよね」
軽妙で軽快。息もつかぬ語り口で激動の時代をテレビと共に駆け抜けた久米宏さん。1月1日、肺がんのためなくなりました。81歳でした。
1944年、埼玉県に生まれた久米さん。早稲田大学卒業後、1967年、TBSに入社しました。
1975年に放送が始まったクイズ番組「ぴったしカン・カン」で司会を務めると、ウィットに富んだしゃべりでお茶の間に親しまれる司会者になりました。
そして1978年に始まったのが、音楽番組「ザ・ベストテン」。
最高視聴率41.9%。台本通りには進まない生放送の緊張感と予測不能の展開で“国民的な人気番組”となりました。
そこでタッグを組んだのが黒柳徹子さんです。
13日、「news23」のインタビューに応じ、久米さんとの思い出を語りました。
黒柳徹子さん
「久米さんほど間合いの合う人がいなかったんです。あんなに良い間合いの。何か言ったとき、私がいきなり『山』って言ったら『川』っていうようなね。やっぱり本当に私たちはお友達がいっぱいいるように思えるんですけど、なかなかそうもいかなくて。そんな中で久米さんは本当に親友っていう感じだったと思います」
黒柳さんの代名詞ともいえる“たまねぎ” 久米さんの発言だった
黒柳さんの“代名詞”ともいえるこのヘアスタイルには、久米さんとのこんなエピソードがありました。
黒柳徹子さん
「私の頭をみんなたまねぎって、この頭をたまねぎって言うじゃないですか。それは久米さんがある日突然(私が)何か言ったとき、『なんですか?たまねぎおばさん』って言ったんですよ。『えっ?』って思って、『この頭、たまねぎって言うかね』と思ったんですけど、言われてみりゃ確かにこうなっていて、たまねぎみたいだなと思って。それ以来、たまねぎっていうふうになったんです、私の頭が。久米さんが言ったんですよ」
実際、「ザ・ベストテン」では、こんな掛け合いを見せてくれました。
黒柳徹子さん
「一番最初私は『たまねぎおばさん』と呼ばれて、あなたは『一張羅おじさん』と呼ばれていて、一張羅ずいぶん着ましたね」
久米宏さん
「さて今日は初心に帰ってやらせていただきたいと思います」
しかし、ニュース番組のキャスターになるため、久米さんは「ザ・ベストテン」の降板を決意します。
ザ・ベストテン降板「みんなが引きとめてもダメで…」黒柳さん宅で話し合ったことも
小川彩佳キャスター
「ニュースステーション」に久米さんが移られる際に、徹子さんが引き止められたと」
黒柳徹子さん
「そうなの。『なぜやめるんだ』と。こんなにみんなが見たいって言ってるものを何でやめるんだと思ったので。最終的にみんなが引き止めたりいろんなことしてもダメで、最終的に私が『ちょっとうち来ない?』って呼んで、久米さんがうちに来て3時間ぐらい話しましたかね」
迎えた「ザ・ベストテン」、最後の出演のとき。
黒柳さんとダンスを踊りながら…
久米宏さん
「真面目な話しますと、7年4か月前ね、この番組はよく考えたら黒柳さんが司会とおっしゃってたんで、ぜひやらせていただきたいと、僕、この番組を始めたことを今思いだしまして。今度、僕が勝手にやめてしまうのは本当に申し訳ないなって思っているんですけど、本当に長い間ありがとうございました」
“視聴者目線”でニュースを変革
そして、ベストテン降板と同じ年の1985年に始まったのがテレビ朝日の「ニュースステーション」。久米さんは疑問や違和感があれば、その場で口にし、視聴者と共有する、それまでのニュース番組とは一線を画した “新たな”報道のかたちを築き上げました。
18年にわたりつとめたキャスターという仕事について久米さんは…
久米宏さん
「一生懸命勉強してこの辺(眉間)にしわ寄せて『僕が勉強したところはこうだ』って言ってもテレビを見ている人は面白くないんです。重い話でも軽く見てもらわないといけないんですよね」
「僕が一番『ニュースステーション』をやる時に気を付けたのは、『久米さんは毎日楽にやってるな、気楽にやっている』と、言ってみたら『鼻歌交じり』です。そこまでいきませんけどね。そういうふうに見られるためにはどうすればいいか。一生懸命苦労した」
「ニュースステーション」終了時に…筑紫哲也NEWS23でも功績をたたえる
2004年3月、「ニュースステーション」が最終回を迎えた日の夜には...
筑紫哲也さん(2004年3月26日 筑紫哲也NEWS23)
「45分ほど前に1つの番組が18年半の生命を終えました。言うまでもなく久米宏さんの『ニュースステーション』です」
夜のニュース番組としてしのぎを削ってきた「NEWS23」の当時のキャスター‧筑紫哲也さんが番組内で久米さんの功績をたたえました。
筑紫哲也さん(2004年3月26日 筑紫哲也NEWS23)
「この番組というのはニュースの形を変えました。中でも最大の貢献はニュースと茶の間、視聴者の距離を飛躍的に縮めたことだと思います。この番組がなければ私たちの番組は生まれていなかっただろうと思うし、私もここに座っていなかったと思います」
その後、2005年に行われた衆院選の開票特番では筑紫さんと共演。
当時の小泉総理にこう切り込みました。
久米宏さん
「小泉さんは一度言い出したら聞かないところがあって、自⺠党の総裁任期は来年9月なので、そこで辞めるだろうと思うのですが、自⺠党の総裁は辞めるけど、内閣総理大臣は続けることはあり得ませんよね?」
小泉純一郎氏
「それはありません」
また戦後70年にあたり、俳優の綾瀬はるかさんと共に司会を務めた特別番組では…
久米宏さん
「この間の戦争から70年が経ちました。ほぼ私の人生とダブっております」
「8月15日が来るたびにいつも思う事なんですけど、なんで8月15日まで戦ったんだろうなと。あと10日早かったら広島と⻑崎には原爆は落ちなかった。なんで8月15日まで…なんで馬鹿なことやったんだって毎年思います」
テレビマンとして晩年まで“権力”や“時代”に向き合う姿勢を示し続けました。
「強い意志と正義感の人」黒柳徹子さんが久米さんに今、伝えたい言葉
小川キャスター
「久米さんはどんな方でしたか?」
黒柳徹子さん
「とても尊敬する強い意志を持った、昔の言葉で言えば正義感を持っている。何が人間にとって良くないとか、そういうことを良くわかっている人だったと思う。ああいう人がニュースを読んだり、政治のことを話したりするのは非常に良いことだと思っていました」
小川キャスター
「いま久米さんに伝えたい思いはありますか?」
黒柳徹子さん
「『お疲れさま』ですかね。久米さんのやり方でやったら、本当に疲れるだろうと思いますよ。『お疲れさま』、それしか無いように思います。むこうにもう一つ世界がもしあるとすれば、今度会ったときにまた続きの話ができるかなと思うんですけど、それも分かんないですよね」
小川キャスター
「どんな話をしましょうね」
黒柳徹子さん
「『あなたがいなくなって、とてもつまらなくなった』ぐらい言ってあげてもいいと思う」
「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました」最後まで“らしさ”を通した
「ぴったしカン・カン」で共演した萩本欽一さんも突然の訃報を悼みました。
萩本欽一さん
「テレビのニュースで見まして。『おいおいどこ行くんだ?』『また遠くへ行くのかい?』と言いました。私の気分では亡くなったというよりも、久米ちゃん、ちょっとおやすみね」
妻‧麗子さんはコメントを発表し、久米さんの最期について...
妻・麗子さん
「久米は、最後まで“らしさ”を通したと思います。大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました。まるでニュースステーションの最終回で、ビールを飲みほしたあの時のように。自由な表現者として駆け抜けた日々に悔いはなかったと思います。」
打ち合わせは一切なし、食事にも一度も…ザ・ベストテンの裏話 “テレビ史”を変えた久米宏さん
小川彩佳キャスター:
黒柳徹子さんにお話を伺いましたが「ザ・ベストテン」で共演されていたときは、二人そろっての打ち合わせは一切なく、お食事に行かれたこともなかったそうなんです。しかし、本番ですごく近い距離で、それをまた楽しんでいらして、それだけの信頼感がおありになったということですね。
藤森祥平キャスター:
私は直接ご一緒する機会はありませんでしたが、改めて画面で少しだけでも伝わってくる圧倒的な熱量や、生放送を楽しんでいらっしゃったり、ニュースなのにイメージが笑顔でいらっしゃったり、感じることがたくさんありました。
【久米宏さん経歴】
▼1994年:埼玉県生まれ
▼1967年:TBS入社
▼1975年:「ぴったしカン・カン」司会
▼1978年:「ザ・ベストテン」司会
▼1979年:フリーに転身
▼1985年:「ニュースステーション」メインキャスター
▼2004年:「ニュースステーション」降板
▼2006年:TBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」パーソナリティ
経歴を挙げればきりがありませんが、中でも「ぴったしカン・カン」の司会、「ザ・ベストテン」の司会では記録的な高視聴率を叩き出し、フリーに転身されてからは「ニュースステーション」のメインキャスターを18年間に渡り務められました。
小川キャスター:
私はテレビ朝日のアナウンサーだった時代、「ニュースステーション」のあとを継いだ「報道ステーション」を担当していましたが、徹底して視聴者の皆さんにどうしたらわかりやすく、また面白く、興味深くニュースを見てもらえるのか、そのためにはどういった道具を使い、どんな演出をしていくのかというところに、とことんこだわるところは引き継がれていたように感じます。
藤森キャスター:
私たちもニュース番組を生放送でやっていますが、何か感じることはありますか?
東京大学准教授 斎藤幸平さん:
僕も直接面識はなく、直前にやっていた「報道ステーション」を見ましたが、すごいのが、政治家の方とかにひるまずにバンバン意見をぶつけていく。そのリアクションを受けて、またキャッチボールしていく。ああいうバランス感覚を持った方は、本当に素晴らしい逸材だったと感じます。
藤森キャスター:
久米さんご自身が書かれた自叙伝があります。『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』
この中にこのようなコメントが残されています。
「『ニュースを伝える立場』ではなく、『ニュースを見る側』に立つことを第一とした」
中学生がニュースを見てどう感じるか、どんな疑問を持つか、誰もが理解できて楽しめるという要素が不可欠だという思いでいらっしゃるんですよね。
小川キャスター:
「ニュースを受け取る側」と「ニュースを送る側」の距離感を一気に縮めていくという存在でもあったわけですよね。
斎藤幸平さん:
それをバラエティー化みたいに批判をする方もいるかと思いますが、それはいわゆる昨今のワイドショー化とも違って、みんなが意見を持って、ひるまずに自分たちのことを考えて発言できるということを促進するためにやられていたんですよね。
私たちは最近だとネットの炎上などもあり、テレビに出ている私たちもそういうことは言わなくなっちゃっていることを、改めて久米さんの姿勢を見て反省しました。
藤森キャスター:
生放送は情報を伝えるだけではなく、視聴者の皆さんと時間を共有しているということを絶対に忘れてはいけないということですね。今まさにこのとき。
小川キャスター:
本当に突きつけられる言葉です。私もこのニュースの向き合い方に迷うとき、「もし今、久米さんだったら、どんな言葉で、どんな佇まいでこのニュースを伝えていらしたかな」と思いを巡らすことがあります。情けないのですが、ついすがってしまうキャスターのお一人でもあります。
そんなときに、やはり整った言葉であったり、取り繕ったり擦り切れた言葉、また予定調和ではなく、生きた言葉や生きた表現を探り続けてきたのが久米さんだったように思います。そうした営みを諦めずにいたいなと、改めて久米さんの訃報に触れて感じました。
藤森キャスター:
日常的に既存の枠を外す努力を続けること。これが大事なんだということも、本当に肝に銘じたいなと思います。
小川キャスター:
心よりお悔やみ申し上げます。
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<プロフィール>
斎藤幸平さん
東京大学准教授 専門は経済・社会思想
著書「人新世の『資本論』」
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