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【展望】マラソン日本記録保持者・前田穂南(天満屋)、入社1年目に出場したプリンセス駅伝で実業団11年目の再スタート

スポーツ
2025-10-17 12:19

女子駅伝日本一を決めるクイーンズ駅伝(11月23日・宮城県開催)の予選会であるプリンセス駅伝 in 宗像・福津が10月19日、福岡県宗像市を発着点とする6区間42.195kmのコースに31チームが参加して行われる。上位16チームにクイーンズ駅伝出場権が与えられる。


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天満屋はマラソン日本記録保持者の前田穂南(29)が、2年ぶりに駅伝に登場する。24年1月の大阪国際女子マラソンで2時間18分59秒の日本新をマークしたが、同年8月のパリ五輪は大腿骨の疲労骨折が現地入りしてから判明。無念の欠場を余儀なくされた。本格的な練習再開まで5カ月を要したが、今年9月のベルリン・マラソンで1年8カ月ぶりのマラソンに出場した(2時間24分36秒で9位)。復帰戦としては合格点だったが、今後は自身の日本記録更新や、さらに上のタイムを目指していく。そのためにも駅伝を活用してスピードを強化する。


「良い形でスタート」ができたベルリン・マラソン

ベルリン・マラソンは2時間24分36秒で9位。故障明けのレースとしては、悪い結果ではなかった。「涼しくなることを想定していましたが、暑い気象コンディションでした」と前田。2時間22~23分を目標に、中間点は1時間10分14秒と想定よりも速く通過した。「暑さにもやられて後半、かなり疲れが出てしまいました」。後半のハーフは1時間14分22秒にペースダウンした。


だが前田の走りは最後に、少し持ち直している。20kmまでの5km毎16分34~45秒のスピードから、25kmまでは17分26秒、30kmまでは17分49秒とペースダウンしたが、35kmまでは17分43秒、40kmまでは17分33秒と踏みとどまった。最後の2.195kmは5km換算17分07秒までペースを上げてフィニッシュしている。


「記録はもっと行きたかったのですが、途中から脱水症状気味になっても動かすことができました。最後までしっかり粘ることができ、良い形でスタートができたと思います」。


今後は「記録に挑戦したい気持ちがある」という。ロサンゼルス五輪の代表を獲得する1つの道である、MGCファストパス(2時間16分59秒以内のタイム)も視野に入れる。山口衛里監督はマラソンの目標タイムから逆算して、ハーフマラソンを「1時間6~7分台で走っておきたい」という。


「そのためには筋力をつけないと。今までは軽さで走ってきましたが、厚底シューズで反発をもらうには、ある程度の筋力や体重も必要です。体重は以前より2~3kg増やしてベルリンを走りましたし、駅伝もそうなります」。


プリンセス駅伝の前田は、新しい走りに挑戦しているまっただ中ということになる。


メンバーギリギリで戦う天満屋

その前田が1か月後のプリンセス駅伝に出場する。「駅伝はチーム一丸となって1つの大会に向かっていきます。駅伝も(23年11月のクイーンズ駅伝以来)久しぶりなので、しっかりチームに貢献する走りをしたい」。


ベルリンから帰国後は1週間ほどで練習に復帰。日本記録のときは本格的な練習に戻るのに、3か月以上かかった。それを思えば今回のマラソンはダメージが軽い。
「距離はマラソンに向けて走ってきたので、あとはスピードを入れてきています」と山口監督。前田も「徐々にスピード練習を入れて調整してきました。疲労の出方が日によって変わりますが、思ったより動かせています」と感触は良い。


今季の天満屋は部員が8人。そのうち2人が故障の影響でプリンセス駅伝には出場できない。6区間を6人と、ぎりぎりのところで戦う駅伝になる。「前田も重要区間を走ってもらうことになります。区間上位では来てほしい」(山口監督)。主要区間の1区(7.0km)、3区(10.7km)、5区(10.4km)のどこかを、前田が走るはずだ。


チームの目標は3位以内。山口監督は「1km平均3分20秒を切ると2時間19分20秒くらい。気象条件によって変わってきますが、そのくらいのタイムで3~4位には入りたい」と計算している。


𠮷薗栞(26)が昨年のクイーンズ駅伝では1区を、区間賞と同タイムの区間2位と快走している。𠮷薗が今回も1区なら、前田は3区か5区。3区ならトップ争いに持ち込みたい。だがインターナショナル区間の4区で順位を落とすことも予測される。前田が5区なら、3位以内にチームを引き上げる走りが求められる。前田自身は「任せられた区間で1秒でも速く、タスキをつなぎたいと思っています」と話す。


約2年ぶりの駅伝で、長身を生かして前を追う走りを見せてくれそうだ。


前田の入社1年目のプリンセス駅伝は?

プリンセス駅伝は今年で11回目の開催だが、前田はその第1回大会(15年)に出場している。その後の天満屋はクイーンズ駅伝で5年連続クイーンズエイトに入り、プリンセス駅伝出場は21、22、23年だった。前田はマラソンとの兼ね合いや故障の影響で、第1回大会以外は、22年大会(6区区間3位)にしか出場していない。


第1回大会は前田の入社1年目。薫英女学院高(大阪)時代から期待されていた選手ではあったが、前田が3年時の全国高校駅伝に優勝するほどの強豪でチームで、前田はメンバー入りできなかった。その選手が名門実業団チームの5区に、入社1年目に抜擢された。プレッシャーを感じるケースだが、前田は「そんなに感じませんでした」と言う。


「入社して初めての大きな大会で、駅伝の長い距離の区間を任されて、自分の走りが10kmもつか少し不安はありました。でも初めての駅伝だったので、楽しみの方が大きかったですね。風が強くてキツかったですけど、アルバカーキ(米国の高地トレーニング拠点)で練習はできていたので、走れると思っていました」。


日本代表に成長する選手ならではの感じ方だった。


それから10年。マラソンで素晴らしい戦績を残してきたが、その一方で故障にも苦しめられてきた。東京五輪前から23年3月の名古屋ウィメンズ(2時間22分32秒で3位。日本人2位)までは左脚脛の痛み、左脚ふくらはぎの痛み、右足かかとの疲労骨折など、たび重なる故障で長期間の低迷を余儀なくされた。


それでも前田は復活を遂げてきた。低迷していた期間のことを質問されると、「記憶がないんです」と答えることも多かった。走れない自分に向き合い、何ができるかを必死で考え続けたのは間違いない。だがそのプロセスを、頑張ったこととして人に話したくはないのだろう。


パリ五輪後に5か月近く走れなかった間も、「あまり覚えていないんです」と詳しくは語らない。確かなのは前田が再び走り始め、入社1年目と同じプリンセス駅伝を走ること。前田が紡いでいくストーリーをもう一度、見守って行くことができる。


(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)


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